
| 「神さま、大好き―生きるとは『神を求めること』」 市川 牧人牧師 主はイスラエルの家にこう言われる、 「あなたがたはわたしを求めよ、そして生きよ。(アモス書5章4節) アモスは、繁栄を究める北イスラエルで活動した預言者でした。進軍する軍隊に歓喜し、経済的成功に国中が意気揚々としていました。しかし、そんな北イスラエルに神は何を語ったのでしょうか。それは、「悲しみの歌」でした。これは、誰かが死んだとき、大切なものが失われた時に歌われる「葬送歌」を意味します。一方では歓喜する人々、他方では叫ぶほどに悲しんでいる神がいます。なぜ、神は歓喜の中にあったイスラエルの人々に「葬送歌」を歌ったのでしょうか?それは、北イスラエルがすでに死んでいたからでした。神の目から見れば、北イスラエルはその国の始まりから死んでいたのです。彼らは建国の際に偶像や神殿を造り、神の言葉ではない目に見えるものにより頼んだのです。(Ⅱ列王12:28-29)では、神の前で生きるためにはどうすればよいのでしょうか?それは「神を求める」、この一点なのです。神はすでに死んでいるイスラエルに「わたしを求めよ、そして生きよ!」と語りました。神の目からすれば、本当の意味で生きる、すなわち「永遠の命」は「神を求めて生きる」ということなのです。私たちは、普通「生きる」というと呼吸が続いていること、あるいは社会で業績を上げること、人の役に立つこと、を思い浮かべるかもしれません。ですが、アモス書5章で神は「生きる」とは「神を求めること」であると語られているのです。神は死んだ者を生き返らせることができるのです。北イスラエルはすでに死んでいたのです。それも、惨殺されその死体が放置された少女のように無惨な死でした。ですが、神はそんなイスラエルに対して「生きよ!」と語りかけるのです。これは、死んだものを生き返らせることができるお方しか語ることのできない神の言葉なのです。私たちは今まさに、神の前に生きるのか死ぬのか、が問われています。私たちは迷わずに「生きたい!」と宣言したいと思います。そして、イエス・キリストの真実を求め続けたいと思います |