2025年8月31日巻頭言


           なたを見捨てない」     市川 牧人牧師
たとえ天の果てに追いやられたとしても、あなたの神、主はあなたを集め、そこから連れ戻される。<申命記30章4節>
  神は私たちの顔の前に二つの選択肢を提示します。それは、命の道か、死の道か。言い換えればそれは神の言葉に生きるか、それとも、それを無視して生きるかの二者択一です。神の言葉ははっきりと律法によって示されている故、私たちはもはや言い逃れできません。私たちは、みことばに生きるように神に求められています。しかし、ここで考えたいことは、私たちは果たしてこの選択を自由に選ぶことなどできるのでしょうか。私は自分のこれまでの来し方を顧みるほどに、そんなことは不可能であることに気付きます。私はいつも神の言葉を無視し、呪いのように神の望まない選択を選んできたように思います。このようなどうしようもなく罪深い人間理解を宗教改革者ルターは「奴隷意志」と名付け主張しました。私たちは、アダムとエバが罪を犯したことによって原罪に陥りました。これによって人間は罪に支配される存在となり、自分の力では神の喜ぶ選択を選ぶことができなくなってしまったのです。なんという悲観的な人間理解でしょうか。しかし、このことは使徒パウロもローマ書3章で語っています。「義人はいない。一人もいない。」しかし、この徹底的に悲観的な人間理解は、徹底的にキリストの栄光を輝かせるのです。私たちの奴隷意志は、キリストのイエスの十字架の勝利によって打ち破られました。キリストの十字架は、私たちの罪の贖いであると同時に、私たちの罪や悪、死、奴隷意志への“勝利”を意味します。私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって勝利に与り、自由を手に入れることができるのです。神は決して私たちを見捨てないのです。私たちがどれだけ神さまから遠く離れた場所に行き、死を選び、みことばを無視し、神に逆らったとしても、私たちを何度でもご自分のものとに引き戻してくださる方なのです。それが私たちの自由と勝利の源です。キリストに示された神の愛によって私たちは底知れぬ安心の中を生きることができるのです。