2025年7月27日巻頭言


     「奉仕としてー賛美を響かせて」   犬塚 修牧師
「イエス・キリストはきのうも今日も、また永遠に変わることのない方」   <ヘブライ書13:8~16>
 奉仕は人ではなく、神に捧げる行為である。人に対すると、どうしても見返りや報いを求めてしまう。元来、奉仕は神に対して成すので無私的であり、反応は気に留めない。奉仕の根源は主イエスにある。「人の子は仕えられるではなく、仕えるために」(マルコ1:45))来たのである。主自身が給仕となって、私たちのために食事の用意をしてくださるのである。これ以上に深い愛はない。  
 ゆえに、奉仕は、主の愛に対する感謝と賛美の応答である。▼覆いかぶさるイエス…主の十字架は奉仕の極致である。母鳥は外敵から雛を守るために、二つの翼で覆う。その姿はイエスのお姿と似ている。▼聖なるものとするため…主の十字架は、信じる者を「聖なるもの」とするためである。織田信長の名器は「曜変天目」呼ばれ、現代では500億円の価値があると言われている。神にとって信仰者は無上の価値がある。神専用の宝物だからである。ゆえに神賛美の奉仕を捧げずにおれないのである。▼奉仕の場…主イエスは門の外で苦難を受けられた。そこは、疎外され、敵の攻撃にさらされた危険な所である。 イエスはそこで死なれた。そこは苦難、病、痛み、不条理、孤独などが混在している荒廃した場である。だが、そこで、私たちはイエスと出会うのである。門の内側は、安全が約束されているように見えてもそうでもない。57歳のヘンデルは門の外にいた。彼は15年間も不遇の時期を過ごしていたが、作曲を依頼された。そして、わずか24日間で、この楽曲を書き上げた。十字架の場面では、ヘンデルは泣きじゃくっていたと伝えられている。主イエスの愛と赦しに心が震えたのだ。もし、彼が門の内にいたら、魂を揺り動かす不朽の名曲は誕生しなかっただろう。門の外で見えるのは、ゴルゴダの十字架である。そこに、私たちのために犠牲となられたお姿を見るのである。