
| 「犯人は誰だ!でなく」 犬塚 契牧師 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」<マルコ5:25-34> 12年間の不正出血に苦しんでいる女性が、主イエスのことを聞いて、「服にでも触れれば…」と望みをかける場面です。人生の大変を病の中で苦しんできたこの女性の悲しみを、著者マルコはひとつひとつ自分や教会と重ねて綴ります。①12年もの苦しみ、②多くの医者への期待と失望、③使い果たした全財産、④何の役にも立たず、⑤かえって悪くなる現実、⑥耳にしたイエスのこと、そして⑦服に触れる。▲彼女は「癒してください」と願ったのではありませんでした。ただなんとか身を隠し、群衆に紛れて、隠れるようにして触れたのです。堂々と誇れるような何かはここに描かれてはいません。主イエスは、「触れたの誰か」と探し出そうとします。押し合いへし合いの中で、誰もが服の裾くらい触れていたのでしょう。弟子たちが「そんな犯人捜しは無茶だ」と訴えたのももっともでした。ヤイロの家へ向かう途中のことです。時間も無駄にできません。探せずに立ち去った場合、彼女は服に触れて癒されたのだと理解し生涯を過ごしたでしょう。そしてまた他の病を患い次の「癒しの服」を探すかもしれません。▲彼女の希望は、いわば“迷信”が混じったものでした。しかし、「癒しの服」が癒したのではなく、「あなたの信仰が…」と主イエスは伝えたかったようです。すがりつくような信仰を無下にされず、歓迎されました。彼女は、マルコは、その共同体は、そのすがるような信仰を通して、救われ続けたのです。「安心して行きなさい」の言葉が響き続けたのです。 |