
| 「ダビデ、洞窟を出る」 犬塚 修牧師 <サムエル記上24章1-16節> サウルから命を狙われて荒野をさまようダビデは、一つの洞窟の中に隠れた。そこに、サウルが用を足すために入ってきたが、ダビデたちに気づく事はなかった。部下たちは、これは、二度とない絶好の大チャンスであり、今すぐサウルを殺し、これまでの遺恨を晴らすようにと進言した。しかし、ダビデは、それを退け、そっとサウルに近づき、彼のマントの裾を切って戻った。なぜ、そんな行動に出たのか? その理由は「神が油を注がれた人物を傷つけてはならない」という神の戒めに従ったからである。ダビデは人の権力を恐れず、ただ神の命令に従う道を選んだ。これは彼が「俯瞰の視点」に立ったからではなかろうか。「俯瞰」とは「物事を地面から上がったところから見つめる事」である。モノレールは、上部に強大な支えがあり、地上から浮き上がって移動するので、地上路線の大事故から免れる事ができる。私たちの人生も、これと似ている気がする。地上での戦いは、人と人との衝突である。そして、互いに殺し合うが戦争である。それはいつまでも解決しない無限地獄のごとくになる。もし私たちが俯瞰の目で、事態を見つめ直したならば、絶体絶命と見える深刻な現実の中にも、神が驚くべき救いの道、解放の世界を用意しておられる事に気づくであろう。それが私たちの俯瞰の目ーキリスト信仰ーである。その目を与えられたダビデは、洞窟を出て、恐るべきサウルと彼の3000人の精鋭部隊の前に出る事ができた。私たちは目に見える辛い現実に目が奪われ、不安と恐れの奴隷になりやすい。しかし、ダビデのように、上から導き、生きて働かれる全能の神を信じて、俯瞰しつつ進みたいものである。△サウルの悔い改めーダビデはサウルの後を追いかけ、自分の無実を訴え出た。そのダビデの命がけの赦しの宣言に心打たれ、サウルは悔い改めた。神はこの暴君をもなおも愛し、悔い改めのチャンスを与えられた。神はどんな罪人にも愛と赦しを示し、ご自分のもとに帰ってくるようにと呼びかけられる。完全な罪人も完全な善人もいない。だれもが等しく心の中に光と闇を持っている。たとえ、私たちが惨めな罪と弱さを露呈しても、神はなおも、愛と赦しを拒まれない。自分がいかに弱い人間であったとしても、イエスは私たちのすぐ弱さに近くおられ、「大丈夫だ、私はお前を見捨てる事はしない」と優しく語り続けられている。 |