2026年8月16日巻頭言


         「イエスのまなざしから平和をつむぐ」  草島 豊牧師  
            <マタイによる福音書10章26-31節> 
 沖縄宮古島へ行った。美しい海。南国の風、街並み。鰹出汁が効いた宮古そば。そんな一つ一つを楽しみながら、同時にその一つ一つをふみつけて平気な権力者たちの無情さを感じた。宮古島は軍事要塞化されていた。ミサイル基地、レーダー基地。島の住民は基地に賛成する人と反対する人で分断され島民のあいだでも普段基地の話はできない。▼「あなたがたの父のお許しがなければ、地におちることはない」と訳されている箇所は素直に訳すと「あなたがたの父なしに、地に落ちることはない」。つまり「地に落ちることがあるなら、父も一緒に落ちてくださる」という意味。2羽で1アサリオンの雀であっても、その一羽が落ちるときには神も伴ってくださる。▼人間の視点では「日本」という国を守るために犠牲は仕方がないと考える。だから宮古島に住んでいる人に親の代からの歴史や思い出、友人がいて、家族がいること。自然の記憶があることを思い描く発想もない。しかし神のまなざしは違う。2羽で1アサリオンの雀の一羽のいのちを見る。▼宮古島のハンセン病療養所「宮古南静園」を訪れた。施設から海へ降ると入江になっていた。この施設から見下ろす砂浜と海がまばゆくばかりに美しく輝く。療養所には当時幼い子どもたちも連れられて来た。一人の少女がこう語った。「海を見ながら、彼女たちがここに来たとき、いったいどんな思いでこの海を見ていたのだろうと考えていた」と。療養所に連れて来られた自分と同年代の少女たちが見たであろうまばゆい海を前にその当時の彼女たちの心中の痛みに思い巡らしていた。私は彼女の姿に希望を見た。▼私たちは、合理的な思考、勇ましい力強い言葉に惑わされることなく、むしろ見逃されていくような一つ一つの心、魂に寄り添っていきたい。そしてそれはイエスの姿であり、イエスのまなざし。このまなざしから始める歩みが平和への歩み。