2026年8月9日巻頭言


   「圧倒的な神の力」 サムエル記上17章31-47節 市川 牧人牧師
 ダビデは、その装束の上にサウルの剣を帯びて歩いてみた。だが、彼はこれらのものに慣れていなかった。ダビデはサウルに言った。「こんなものを着たのでは、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれらを脱ぎ去り、(サムエル上17:39)
 サウル王は、ペリシテ軍の巨人ゴリアトに一人で立ち向かうダビデに、青銅の鎧や兜を着させます。しかし、ダビデは、それが自分には合わないとわかるとすぐに鎧を脱ぎ去ります。絶対服従の王サウルに対して不遜な態度にも思えます。しかし、このダビデの姿には重要な神の器としての姿が示されています。ダビデは「自由」だったのです。彼は人間の常識や考えから、またサウル王に対する人間関係から自由でした。ギターの弦は、押さえつけるときには音を奏でませんが、弦に触れてすぐに弦を自由にしてあげるときに美しい音色を響かせます。ダビデはそのような人でした。何にも押さえつけられない、自由だったからこそ、強敵ゴリアトを一発で仕留める万軍の神の力を受け取ったのです。△最近、カーク・フランクリンというゴスペルシンガーの「I Smile」という曲の映像を見ました。彼らは「私は笑う」「君は笑っているときの方がずっといい」と繰り返します。彼らはただ陽気な人々だからそれを歌っているのではありません。彼らの笑顔の背景には、壮絶な差別と抑圧に苦しんだ歴史、そして今現在も続く差別に戦い続ける背景があるのです。彼らは絶対に笑えないような状況の中で笑い、絶対に歌えない状況の中で歌ったのです。彼らの映像の中で見せる笑顔には「真の自由」が感じられます。その力の原動力を彼らはこう歌います。「私があきらめかけたとき、空から説明できない力がシャワーのように降り注いだ!」天の神の力を受け取っていたのです。彼らは自分で気づき上げた地位も財産もない中で、ただ降り注ぐ主の恵みに体を委ねたのです。そんな人々こそ、この地上で最も「自由な」人々であることを私は知りました。ダビデも人生を通して決して自由とは言えない人生を歩みました。人生の前半は義父に憎まれ、後半は実の子に命を狙われます。しかし、彼は誰よりも自由に詩編を歌いました。「本当の自由」はどん底においても共におられる神によって与えられるのです。