2026年7月5日巻頭言


    「『異なる教え』とのたたかい」2テモテ4:1-8   草島 豊
 テモテへの手紙といった牧会書簡の中心テーマは「異なる教え」からいかに教会を守るか。「異なる教え」とはおそらく律法遵守を説くユダヤ主義、また特別な「知識」を持っていると誇ること。これらの人々は、自分たちを「特別な存在」と考え、特別な存在がもつ「力」を誇りにした。彼らの心情が分からないでもない。エルサレム神殿を失い自信を失ったユダヤ人や迫害で弱くされた人々にとって、自分たちが特別な存在であるという考えには心惹かれる。それは劣等感を背景にした優越感であり誘惑だ。そして「異なる教え」に傾いていった人々は自分たちこそがパウロの教えを正しく理解していると考えた。▼当時パウロの教えを引き継いでいると言いながら、パウロをどのように理解するかで、立場が異なったように、私たちもまた、パウロそしてイエスをどのような方と見るのかが問われている。ある人々は、イエスに終わりの時にキリスト者ではない者たちを滅ぼす輝かしい力あふれる姿を見る。しかし私は思う。もしそうであればイエスが十字架につけられた時にそうされたのではないかと。むしろイエスが示されたのは十字架につけられた無力の姿。イエスはその姿を通してすべての人への神の愛、神の慈しみを伝えようとされたのではないか。パウロは手紙の中で一貫して、「十字架につけられたイエス」をのみ伝えると言った。▼私たちのこの世界の課題、自分が直面する課題に対して、力でしか解決しないのだ、だからより強い力をもって、その力を用いるのが正しいことだという考え方がある。しかし、力でねじ伏せるのではなく、人々の心を動かしていくような方法を私は取りたい。そしてこう言いたい「イエスさまならこうしました」と。