2026年7月12日巻頭言


                「闇も光も」 犬塚 契牧師
わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし 出す。<詩編139編7-12節>
「人はみな、今日は誰か私を理解してくれるだろうと朝を迎え、今日も誰も理解してくれなかったと夜を終えるのです。」二十歳の頃、通っていた教会の牧師が語ったこの言葉を時々思い出します。前向き、肯定的に生きることを標榜する教会でしたので意外だったのです。もちろん、毎日がそうではありません。しかし、人にはそれぞれ誰にも届かない孤独があります。私も牧師として相談を受けることがありますが、結局「覚えて祈っています」と力なくお返事するたび、自分はどこまで寄り添えているのだろうと思わされます。言葉になる苦しみもあれば、言葉になる前の苦しみもあります。その場所は、誰にも十分には分からないのです。詩編139編は、そのような孤独の中から歌われた詩です。詩人は決して穏やかな環境にいたのではありません。敵に囲まれ、信仰が脅かされ、自分の弱さを深く覚える中で、「どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう」と歌いました。これは神から逃げたいという意味ではありません。「どこへ行っても、あなたはおられる」という存在に根差した言葉です。天に上っても、陰府に下っても、海の果てに行っても、神はそこにおられる。そして最後には、「闇もあなたには闇ではない」と告白します。神は、神殿という特別な場所にだけおられる方を近くに引き出し、引き下げたような139編です。それで、なんだか慰めを得ています。私たちが言葉を失う場所にも、理解されない朝にも、理解されない夜にも、ともにいてくださる方としります。誰にも届かないと思える孤独の底でさえ、神だけは私たちを見失われません。そのことを知るとき、闇はすぐに消えなくても、私たちは独りではないという慰めが静かに心へ届くのです。