
| 「命の限りキリストを歌おう」 市川牧人牧師 命ある限り、わたしは主に向かって歌い、長らえる限り、わたしの神にほめ歌を歌おう。どうか、わたしの歌が御心にかなうように。私は主によって喜び祝う。(詩編104編33-34節) 教会は二千年の間「音楽」を大切にしてきました。それは、目に見える装飾品や祭司の豪華な祭服を控え、教会を質素に転換した宗教改革を経ても変わりませんでした。なぜ、教会はほかの芸術とは異なり、音楽を最大限に用いてきたのでしょうか。それは、音楽は「神の言葉」を人々の心に届ける「乗り物」だからです。キリスト教は耳で「神の言葉」を”聴く”ことに固執してきました。目で見える現実ではなく耳で聴くことのできる現実に生きる、それがクリスチャンの生き方です。であるならば、耳で聴く芸術である音楽は神の言葉と調和することで人をキリストの福音へと導く良き助け手となるのです。私たちにとって「聴く」という行為は、聖霊を現実に感じることを可能にします。私たちはどこか「聖霊」を頭の中で感じる存在であるとか、精神的な現象のように思ってしまいます。ですが、イエスさまは、聖霊は“聞くことができる”(ヨハネ3章8節)と私たちに教えてくださいました。私たちは神である聖霊を、耳で聴くのです。ではいつ聖霊の音を私たちは耳で聴くのでしょうか。それは、私たちが「神の言葉」を聞くその時です。礼拝の中でキリストの福音が朗読され、メロディーに乗せて賛美され、説教の中で宣言されるのを私たちが耳で聴くときに、私たちは聖霊の臨在を感じているのです。私たちは教会をこの聖霊の音で、福音の響きで満たしたいと思います。詩編104編の詩人がそうであったように、私たちの人生そのものがキリストへの賛歌となるように、生きてゆきたいと思います。神の言葉を耳で聴くことを止めてはなりません。神の言葉を私たちの歌声と音楽で飾り、主に力いっぱいの感謝と喜びを捧げてゆきましょう。 |