2026年6月14日巻頭言


              「神様がくださったもの」 犬塚契牧師
<テモテへの手紙Ⅱ1章3-14節>  シャローム子どもの家の保護者会で、子どもたちの活動の様子を映像で見る機会がありました。赤・青・黄色のキャップを分類したり、円柱差しに取り組んだりする姿を見ながら、「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです」という聖書の言葉を思い起こしました。子どもたちは「大きい」「小さい」「ぴったり」と確かめながら、自分に合うものを探し、その営みを通して、秩序や心地よさ、平和を学んでいるのです。モンテッソーリ教育では、子どもたちの活動を「お仕事」と呼びます。ただ時間を過ごしているのではなく、平和を生み出す土台を築いているからです。秩序を知り、自分にふさわしい場所や言葉を見つけることは、平和の神を知ることそのものです。▲Ⅱテモテ1章で、パウロは獄中からテモテに手紙を書いています。しかし彼は、自分を不運な時代の不幸な例外とは考えていませんでした。「先祖に倣い清い良心をもって仕えている神」と語り、自らを神の大きな歴史の中に位置づけていたのです。ヨセフやサムソン、エレミヤ、捕らわれた預言者たち、そしてロイス、エウニケ、テモテへと続く信仰の流れの中に、自分も生かされていると理解していました。さらにパウロは、永遠の昔からの神のご計画がイエス・キリストによって現され、その現場に立ち会えたことに喜んでいました。牢獄にあっても絶望しなかったのは、自分の境遇ではなく、神の歴史を見ていたからでしょう。AI戦争や混乱が続く現代において行く末を案じますが、目先の出来事だけに支配される必要はないのでしょう。「あなたに委ねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい」とあるように、聖霊が私たちを支えます。子どもたちが秩序を学びながら平和を育んでいるように、私たちもまた、平和の神に仕えながら、それぞれの場所で平和をつくる者として歩みたいと思います。