2026年5月31日巻頭言


                「信仰の「継承」」 草島豊牧師    1テモテ4:6-16  
今日の聖書箇所では「異なる教え」に惑わされないで正しい信仰を守るための指示がされている。「聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」の「聖書」は旧約聖書のこと。新約聖書27巻が定められたのは四世紀。テモテへの手紙の時代いま私たちが手にしている聖書はなかった。その中で教会の指導者たちは「異なる教え」を説く人々から教会を守らなければならなかった。彼らは日々の地道な信仰生活を強調し「異なる教え」を語る人々の言葉に耳を貸さないようにと指導した。しかし現代の私たちには『聖書』がある。ではこの『聖書』を手にする私たちが信仰を継承するとはどういうことか。▼信仰を受け継ぐ、とはどこか受動的なイメージがあるがもっと能動的なものだ。『聖書』の言葉が自分のものとなるというのは『聖書』の言葉を自分の経験から自分の言葉で表現していくことだから。信仰の「継承」は我が子のバプテスマや若者が教会を担っていくことだけではない。この時代に「異なる教え」によって教会が揺れ動いたように、教会が大切なことを見失う危険は常にある。そうならないために現代の私たちも「福音」や「救い」が何を意味するのかを自分たちの言葉で表現する、つまりその言葉を獲得する必要がある。それは簡単なことではないが大丈夫。神が働いているから。▼10節で「わたしたちが労苦し、奮闘するのはすべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです」とある。「生ける神」それは、いま現に働いている神のこと。つまり神がすでに働かれている。わたしたち人間の小さな企ての前に、すでに神は働き、神の恵みはある。いまここに働いている神の恵みに信頼すること、それは希望。教会は2000年続いてきた。そこには無名の、そして地道な多くの信仰者たちの営みがあり、『聖書』を中心にして礼拝を続けてきた営みがあった。