2026年3月29日巻頭言


               「痛む神」    市川 牧人牧師
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、 彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」 <マルコによる福音書14章33-34節>  主イエスは、神でありながら、十字架を目前にして人間としての死や痛みにもだえました。しかし、主イエスがこの時に感じた苦しみはそれだけではありませんでした。それを遥かに超える「父なる神との断絶」を体験していたのです。33節の「もだえる」という言葉は「アデーモネオー」というギリシャ語であり、「故郷を失う」という意味を持つ言葉なのです。マルコは、主イエスの計り知れない苦しみを記録するときに、帰る場所を失うことを示す動詞を用いてその苦しみの意味を記したのです。私たちにとって「帰る場所」「故郷」はどこでしょうか?生まれ育った場所・国・家族を思い浮かべるかもしれません。しかし、私たちの真の故郷は父なる神の御許である「天国」です。私たちは罪によってそこに帰ることができなくなくなっていました。しかし、主イエスが私たちの代わりに「神との断絶」という苦しみを背負われたことで、私たちは信仰によって永遠に、決して神と断絶されることがない、永遠の命を生きることができるようになりました。私たちは教会に集うことで、この天の故郷を見出し、それを信じ、この地上にそれを実現していくことができます。主イエスは今私たちをそのように招いておられます。私たちが地上で生きる以上、目の前で起きる悲しみに苦しむことは続いていきます。ですが、私たちはその先にある永遠の命をも知っているのです。それは、死に別れた人々との再会、不正や暴力が敗北した世界、永遠に主イエス・キリストとともに生きる人生です。