2026年4月5日巻頭言


               「イエスの死」  犬塚 契牧師
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 <マルコによる福音書15章33-41節>
 3月16日に辺野古沖で起きた小型船の転覆事故に心を痛めました。キリスト教学校の修学旅行中、平和学習船に乗った学生の1名と船長であり牧師であった1名が亡くなってしまいました。旅行会社の手配の外であったとのことで、ならば高校の教師たちが、学生たちに辺野古でサンゴが削られた白い砂と青い海をどうしても体験してもらいたかったのでしょう。黒い軍艦に染まる海を覚えてほしかったことでしょう。「不屈」と名付けられた船は、沖縄の歴史を吸い込んでの命名であったことと思います。20万人の犠牲者を出した沖縄戦と敗戦後も残った基地、そこからベトナム戦争への爆撃機が出発しました。基地があるとは轟音と悲鳴と分断が生まれるということでした。しかし、人の善意、良心、共感、連帯や平和への意志が、こういう形の事故になったことにショックと落胆を覚えています。現地の動揺と関係する方々の痛みを覚えています。キリスト教学校の修学旅行、牧師の操縦する平和船の転覆、2名の犠牲者。決して起きてはならぬことが起きてしまいました。最中にイースター前のマルコ15章を「イエスの死」の場面を読んだのです。ここにも決して起きてはならぬことが起きていました。人々があざ笑う見世物のような十字架刑と神にすら見捨てられるという絶望の現場。唯一、大自然だけが強烈に反旗を翻し、太陽な輝くことをやめ、大地は光を失いました。▲決しては起きてはならぬことの上に十字架が立っています。深い深い苦しみと悲しみを土台とし、それを貫いて十字架が立っています。この事件の一連を見ていたローマの兵士から想像もしなかった信仰告白が生まれています。「本当に、この人は神の子だった」