
| 「律法も預言もキリストのためだった」 市川 牧人牧師 弟子たちは急いで周りを見回したが、もはや誰も見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。(マルコによる福音書9章8節) この一節は、一見なんだかガッカリする一節です。栄光に輝くイエス様とエリヤとモーセが現れたが、それは単なる夢だった。所謂「夢オチ」のような場面です。しかし、この場面はそのように読むべきではありません。8節で語られているのは一時の「夢」や「幻想」ではなく、「新しい時代の幕開け」、「本当の現実」が描かれているのです。すなわち、弟子たちが見たのは「イエス様がいればそれでいい」「イエス様こそ唯一」であるという新しい現実でした。旧約聖書による律法でがんじがらめにされた時代は終わったのです。律法の成就であり目的であるイエス・キリストの到来によって新約聖書の時代、自由と恵みの世界が到来したのです。ゆえに、私たちは”ミニマリスト”でありたいと思います。私たちは絶えず「あれが欲しい、これが欲しい」と多くの物を欲します。ですが、わたしたちは「イエス様がいれば他のものは何もいらない」と宣言できる人生を歩んでゆきたいのです。私たちは自由であり、身軽なのです。そして、この生き方こそ結果的に多くのものを獲得する人生となるのです。主は語られました。「自分の命を救いたいと思う者はそれを失い、わたしのため、また、福音のために命を失う者は、それを救うのである」(マルコ8:35)先週はふじみ教会の定期総会が行われました。教会財政は決して余裕のあるものとは言えませんし、世の中の潮流は宗教法人へ冷たい視線を向けています。ですが、そんな中でこそ、「ただイエスだけが一緒におられた」という御言葉にこだわるように招かれています。現代の荒野を主と共に力強く歩んできましょう。 |