2026年1月25日巻頭言


          「宗教はやっかいだなぁ」  犬塚 契 牧師
ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」…「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」<マルコ2:23–28>
 弟子たちが麦の穂を摘んでいたところをファリサイ派の人々に現行犯で指摘を受けます。麦泥棒でなく、働いてはいけない“安息日”に刈入と脱穀をした律法違反でした。福音書でよく登場するファリサイ派の人たちは、神の前に生きることにおいて真剣だったのだと思います。言い伝えでは、イスラエルが安息日を完全に守ればメシアによる贖いが直ちに起こると言われていました。ヘロデ大王の功績であろうと悲願の神殿がこの時代に出来上がったのをみるとその日も遠くないという機運もあったでしょう。…なのに、主イエスと弟子は安息日を今日も守りません。そもそも漁師出身の彼らは口伝の細かな律法を知らなかったかも知れません。しかし、主イエスは知っていて反論をしました。国の命運を賭け、真剣なファリサイ派には、ふさわしく真剣に相対しています。曰く、彼らの英雄ダビデはもっと深刻な律法違反をしているではないかと。▲安息日とは、世界が神の保たれているのだという事実を確認する日でした。生産をやめ、奴隷をやめる日でした。安息し、ホッとする日でした。しかし、いつの間にか安息日を守ることすら仕事へ変質させてしまうものです。こうなると「宗教はやっかい」です。▲神がおられなければ、休むことなく働き続け、自分の支配をどこまでも求めたことでしょう。パワハラを繰り返し、馬車馬のごとく働き、ライフワークバランスを欠いたまま、働き、働き、働いたことでしょう。そうしないとこの社会システムでは、取り残される不安がぬぐえません。しかし、神がおられるのだと聖書は伝えます。マルコの共同体は、2章を宣言で終えます。「安息日の主」がおられます。