2026年1月4日巻頭言


          「シメオンとアンナ」    犬塚 契牧師
…八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。…また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。<ルカによる福音書2章21-38節>
  最初のクリスマスは、神の「えこひいき」がないことに心がとまります。言い換えれば、至って「ふつう」なのです。人口調査の勅令の時期の悪さ、その旅先での出産のタイミング、用意された部屋の質素、訪ねてくる無名な人々…。まるで庶民の実生活です。ルカ2章で、神殿に捧げることのできた犠牲は貧しい夫婦のそれでした。名付けられた「イエス」とは、当時はありふれた名前でした。神殿で出会った二人の老人たち、シメオンとアンナに関しては、…えっ誰ですか?…“敬愛するテオフィロ様”へ献呈する調査報告にしては、配役が地味で弱いように思えます。この後もこの家族は、「ふつう」にヘロデから命を狙われて、抗うこともできず、エジプトに逃亡し、難民として過ごします。やはり「えこひいき」なしに為政者の命令、時代の波に翻弄され、助けの手は細く短いように思えます。▲シメオンとアンナは、後光差さない貧しそうな家族を見つけて、どうして救い主の誕生を知ったのでしょう。トランペットもシンバルも教会の鐘も鳴らないその場面でなぜ祝福を祈れたのでしょう。その祈りはそのまま最も古い讃美歌となりました。…「聖霊」によってとしてか書けないことがあるようです。えこひいきなしの神がからぬ日常の中で、聖霊によって見えることがあるようです。いや、見えなくとも手触りが残ります。