
| 「自分を誇らなくてもいい。イエスさまだけが誇りなのだから」 市川牧人 牧師 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 <ルカによる福音書1章45節> 救い主イエス・キリストが自分の胎に宿ることを知り、マリアは家を飛び出しました。世界をひっくり返すみ使いの知らせを人に伝えなければ、マリアは急いで親戚のエリサベトのもとへと走りました。年若い田舎町の一人の少女は、旧約聖書の偉大な預言者たちが受け継いできた知らせを最後に伝える使命を果たさねばなりませんでした。そんなマリアの訪問を受け、エリサベトは言います。「あなたはなんと(マリア)幸いなのでしょうか」そうです。この時、マリアは地球上で最も「幸い」な存在となりました。ですが、不思議です。この時のマリアの状況は最悪です。結婚を前にして妊娠するということは石打の刑に値する重罪でした。本当だったら焦りと絶望にうちひしがれるような状況です。ですがなぜ、マリアは「幸い」(マカリオス)であることができたのでしょう。それは、マリアが「神の言葉を聴いた」からでした。マリアは、み使いによって知らされた救い主の誕生という神の言葉に出会い、困惑から確信に、絶望から希望に、苦しみから平安の中に変えられたのです。そのことの宣言が「お言葉通りこの身になりますように」(ルカ1:38)という信仰告白でした。神の言葉は私たちに与えられた唯一のサクラメント(しるし)なのです。そこには人間の可能性をはるかに超えた“力”があるのです。私たちににとって真の幸い(マカリオス)とは、「神の言葉」すなわちイエス・キリストの福音を聞く事、そしてそれに従う事、これ以外ではありません。マリアのイエス様と言う神の言葉を胎に宿した姿には、人がキリストと一つになるという神秘的な姿が示されています。そして、その姿は私たちクリスチャンが目指す姿です。キリストと一つになり、キリストに似る者となってゆく。このプロセスはまずは神の言葉を耳で聴くことから始まるのです。 |