2025年11月30日巻頭言


        「終わりの日は近い」 市川 牧人牧師
ああ、恐るべき日よ、主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る。 <ヨエル書1章15節>
ヨエル書はイスラエルの破滅の日「主の日」について語る預言書です。しかし、ヨエル書にはどの時代に、どの国で語られたのかという決定的な記述がありません。聖書学者たちはアッシリアによるイスラエル侵攻の前の時代だったのか、バビロン捕囚の後の時代だったのかと議論をしています。しかし、ヨエル書に時代や国の情報が記されていないことにも意義があるのです。それは、ヨエル書はすべての時代の人々にそれぞれの「主の日」を預言しているということです。そして、第一義的には、今から二千年前の救い主イエス・キリストが十字架に架かるその瞬間こそ、ここで語られる「主の日」であったのです(使徒2章14節以降)。すなわち、ヨエル書1章で語られる蝗害、侵略、干ばつと言った恐ろしい破壊は、本来私たちに降りかかるはずだったのに、なんと神の子イエス・キリストが身代わりとなってその身に受けて下さったということなのです。2,3節ではこの破壊が老人や子孫の時代に類を見ないものであることが示されています。それほどまでにイエス・キリストの十字架という破滅はこの世界において決定的な出来事だったのです。さて、それでは私たちはどう生きましょう。キリストによって到来した主の日を、私たちはそれぞれの心の中に迎え入れてゆくのです。それは、人生におけるもっとも深い悲しみや苦しみの中で体験する神の言葉のプロセスです。外的なものであった神の言葉が内的なものになり、神の言葉と心が一つになる時、私たちはキリストに似る者へと成長してゆきます。「しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。」(第一ヨハネ3:2)それぞれの主の日は今にも到来しようとしています。それはキリストの十字架という破滅を喜んで自らに受け入れて行く霊的な旅路です。