2025年10月19日巻頭言


        「主への祈りは必ず届く」   市川 牧人牧師
わたしは山々の基まで、地の底まで沈み/地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ/あなたは命を/滅びの穴から引き上げてくださった。<ヨナ書2章7節>
ヨナ書二章では「どん底」にあるヨナの感謝の祈りが記されています。ヨナは、船から投げ飛ばされた海の中で大きな魚の腹の中にいました。ヨナは真っ暗闇で窮屈な魚の腹の中で自分が生きているかすらも分からなかったかもしれません。ヨナは自分が「陰府の底」や「深淵」「地の底」にまで沈んだと語り、もはや死んだも同然の状況であったことを告白します。このときのヨナがどん底に下って行ったことは、ヤーラードゥ(「下っていく」の意)という動詞が1章2章で多用されていることからも強調されています。しかも、イスラエルの人々にとっての本当の死は、身体的な死ではありません。「神からの断絶」です。ヨナは自分が神から断絶されるほどにどん底に下っているのだということを5節で「生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうか」と語ることで表現しています。今日の箇所で最も注目したことは、そんなどん底の中でヨナが何を祈ったかということです。ふつう困難や苦しみの中にあるとき私たち「助けてください!」と祈ることが普通なように感じます。ですが、ヨナはどん底の中で感謝を祈ったのです。ここから、わたしたち信仰者の真の祈りはどん底の中からの“感謝”の祈りであるということを知ります。わたしたちは、順風満帆の中で神と出会うのではありません。人生において最も深刻な闇、どん底の中で神さまと出会うのです。このことを中世の神秘主義者タウラーは「心底における神と人との合一」と表現しました。「心底」とは、困難や試練を経ることによって到達する人間の心のうちの最も深い部分です。この領域において人は、自分の罪を認識し、心から悔い改め、自分を捨て神だけを求める者になることができます。ヨナもどん底にあって自分を捨てることができました。そして神だけを求める者へと変えられたのです。わたしたちの目指すところはこの”深み”です。