
| 「逃れの町という町がありました」 犬塚 契牧師 意図してでなく、過って人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。<ヨシュア記20章3節> 「彼のお父さんは、猟友に熊と間違われて撃たれて亡くなったんだ」とその友人が小学生だった私の耳元でつぶやきました。目の前に黄金色の小麦畑が広がる北海道の広い空の下でした。「人生にはそんなことが起こり得るのか…」と地上の不条理を覚えた最初でした。▲逃れの町は、誤って殺めてしまった人が逃げ込める町でした。古代イスラエル12部族の領地のどこからでも半日でたどり着ける場所6か所が定められました。すでに「目には目を歯には歯を」という同害報復までで収めるハムラビ法典も知られてはいたでしょう。それでも人は倍を返さねば気が済まないものです。逃れの町は、加害者だけでなく、復讐に燃える被害者の家族も守る場所でもあったことでしょう。それはまた「駆け込みシェルター」という要素だけでなく、“俺とあいつ”という二人称の関係を超え、出来事に神を介在させ、この悲劇も神のひざ元におく意味があったのだと思います。考えてみれば、私たちも悔しい時は主イエスの受難を思い起こし、「復讐は神のもの」と心なだめ、「なぜ奪われたままでいないのです」とのすすめを聞いてギリギリ守られて生きてこられたように思います。▲誰もが自業自得の人生を耐えて生きています。人を殺めたことがなくても逃れの町が必要です。主イエスキリストによる聖なるひらきなおりがあってもいいのではないでしょうか。「あなたが一番聞きたいことばは何ですか」というアンケートで一番多かったのは「あなたを愛しています」でした。順当です。二番目は「あなたを赦します」でした。そうでしょう。以外にも三番目は「ごはんですよ」でした。その三つとも福音には含まれているようです。来週もまた主の晩餐式です。 |