2025年8月10日巻頭言


    「奴隷にこそ目をかける神のようです」 犬塚 契牧師
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」   <申命記5章1-6節>
 夏休みなって高校生たちが遊びにきます。先週は夕食時に原爆・原発の話になりました。一人が言いました。「でも僕は核兵器のひとつくらい持っておいたほうがいいと思うんだ。何が起こるかわからないから」。▲アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮とおそらくイスラエル。現在の核兵器の保有国に加えて、韓国、フィリッピン、ベトナム、インドネシア、カンボジア…。どの国も核保有して、暴力の傘の下で緊張の中を生きるのは本当に“平和”なのか。聖書の平和(シャローム)は、どこにも欠けがない、誰も犠牲にされない、奴隷にされない世界だけれど、それとは遠くはないか…。いろんな話をしましたが、すっきりとはなりません。次の日もぐるぐる思いめぐらしていた理由は、彼がつついたのが、私の中の「あきらめ」だったからです。「結局、変わらないじゃないか」。▲申命記5章1-6節、十戒が語られる直前が聖書個所です。モーセの活躍した年代はエジプト側の資料はなく特定できませんが紀元前13世紀でしょうか。申命記がまとめられたのはバビロン捕囚期、塗炭の苦しみ最中であれば800年近い隔たりがあります。最初の読者のみならず、後々の読者も「あきらめ」を知っているのです。エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ローマ…国は変われど、支配される様相に違いはありません。「結局、変わらないじゃ
ないか」▲ただそんな打ちひしがれた現場でこそ響く言葉があるようです。「わたしは主、あなたの神…」。在らしめる者である神が「わたしをおいてほかに神があるはずがない」と顔を向けます。