2025年7月6日巻頭言


         「今日も満ち足りました」  犬塚 契牧師  
「わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。…主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。」 <フィリピの信徒への手紙4章2-20節>
 「喜びの手紙」として知られるフィリピ書の最後は、教会内の不和に触れています。“エボディア”と“シンティケ”という最初期から教会を支えつつ、今は仲違いしている二人の婦人の名が残されています。今や世界中に知られていますから、いささか気の毒です。ただ「誰かとうまくいっていない時には、うまくいっている人との間にもどこかに嘘がある」ようですから、他人ごとではない話だとドキリとします。人間関係は誰もが抱える課題であり、教会においてもまたしかり。それでも、「主において常に喜びなさい」とパウロは勧めます。小さく見える人間同士のもめごとは、小さなことではありませんでした。なお「主において」受けとめられるべき課題でした。この聖書個所の最もふさわしい注解は、マザー・テレサの言葉だと読みました。▲「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。…中略…最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。あなたと他の人の間のことであったことは、一度もなかったのです。」(「あなたの中の最良のものを」マザー・テレサ)▲なるほど、相手のせいではなかったのだなぁ。なるほど、自分だけで折り合いをつければいいわけでもないのだなぁ。「主はすぐ近くにおられます」という言葉の促しを受けて、次の祈りの言葉が紡がれそうです。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(4:6)