
「のぞみの父ちゃんは、幽霊を信じますか?」 犬塚 契牧師
しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。…わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。
<ガラテヤ人への手紙4章8-20節>
高校生のサトユキくんが質問をしてくれましたので、そのまま説教題にいたしました。幽霊をちゃんと見たことがないし、見たら腰を抜かしてしまいそうなので、見たくもないのですが、「信じるか」と問われたらなんと答えたらよいのでしょう。日本語の「信じる」という言葉には、「信頼」という要素も入っているものですが、それはないかなぁと…。ただ「存在」はするのかも知れないなぁ。そういえば「神の国の証人ブルームハルト父子」(井上良雄著、新教出版)の最初は、現ドイツの小村メットリンゲンでの超常現象(憑依やノック音、異臭、浮遊)が書いてあったし、宣教師を父にもつ友人は、アジアの現地では祈りの最中に椅子が飛んだのを見たと教えてくれました。なるほど、そういう動きや働きがあるのだと思っています。しかし、メットリンゲンでの悪霊騒動は、憑依されたゴットリーベンの「イエスは勝利者だ。イエスは勝利者だ」と叫びと共に終結したことを読むと恐れるには及ばないのだと安心しています。ならば、質問への答えは、「いるかもね。でもイエス様が100万倍強い!」くらいにしておきましょうか。▲異邦人クリスチャンが再び「支配する諸霊」を恐れ、日や月や時節に縛られて生きた様子があったようです。なるほど占いも六曜も茶柱も黒猫も日常に残す日本も同様かも知れません。だから、「キリストが形作られる」という手触りを心の底に覚えていきたいのです。