2025年5月18日巻頭言


「キリストと一つになる」  市川牧人牧師

もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。(ガラテヤの信徒への手紙2章18節)

パウロは、自分で打ち壊したもの、すなわち律法をもう一度建てるならば、それは自分が「違反者」であることの証明となってしまうと語りました。では私たちは律法ではなく、何を建てなければならないのでしょうか。それは「十字架の人生」です。キリストの十字架を自分のものとして背負い、キリストが十字架において味わった苦しみを体験してゆく歩みです。そのことをパウロは次のように語りました。「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。」(19節b)そして、パウロは信仰者がキリストの十字架にともに架けられるとき、その者のうちに「キリストが生きている」(20節)と語りました。私たちは人生の中で試練を体験します。そして、気付くのです。「ああ、この苦しみは、イエス様が十字架の上で体験された苦しみだったのだ。」これこそキリストとの合一です。このプロセスは、結婚生活に例えられます。私たちとイエス様はいわば夫婦です。私たちはイエス様を信じるだけで救いの中を歩み始めます。それは、夫婦の始まりの瞬間である「結婚式」です。夫婦になる若い二人は互いのことを信じて一つとなる歩みを始めます。しかし、二人は法的・財産的に一つになったとはいえ、人格や心の部分では一つになっているとは言えません。二人はその後に続く、夫婦生活の中で、少しずつ人格と心において一体になってゆきます。これが、夫婦である私たちとイエス様による「十字架の人生」です。二人は苦楽を共にする中で、相手の喜びが自分の喜びとなり、相手の悲しみが自分の悲しみとなる体験をします。まさにイエス様との合一はそのようなものです。私たちはイエス様に愛された花嫁として、喜んでこの歩みを進めたいと思います。