2025年5月4日巻頭言


「世界をキリストで満たそう」 市川 牧人牧師


そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」マタイ28章17節
復活のイエス様に出会った弟子たちはひれ伏し「礼拝」を献げました。そこには、
目の前にいるイエス様が神であるということを弟子たちは知らされたことが示さ
れています。「ハレルヤ!」復活のイエス様に出会った弟子たちはそう叫ばずにはい
られませんでした。しかし、聖書は人間の現実を描き出します。「ハレルヤ」と叫ぶ
弟子たちは疑う者でもあったのです。この「疑う」という言葉はマタイによる福音
書14章31節にも出てきます。ペトロは湖の上でイエス様と出会い、水の上を歩き
ました。しかし、結局は沈んでしまった。その時、イエス様はペトロに言いました。
「なぜ疑ったのか。」しかし、そんな弟子たちは変わってゆきました。つまり、殉教
するまでに確固たる信仰を手に入れるようになるのです。では、なぜ、福音書にお
ける弟子たちは「疑った」のでしょうか。なぜ、その後、弟子たちは「疑う者」か
ら「信じる者」へと変わることができたのでしょうか。弟子たちは「耳」で神の言
葉を聞くことによって、信じる者になったのです。28章17節での弟子たちはイエ
ス様を「目で見ただけ」だったのです。しかし、その後イエス様の言葉、すなわち
神の言葉を耳で聞くことで彼らは変えられていったのです。湖の上を歩いたペトロ
も、イエス様の「恐れるな」「来なさい」という言葉を聞き信じたときは湖の上を歩
き、吹きすさぶ嵐を目で見たときに溺れてしまったのです。私たちは目で見たこと
を真実とする科学に基づく社会を生きています。ゆえに、聖書は私たちに挑戦を投
げかけているのです。目で見たものではなく、耳で聞く「神の言葉」を第一とする
世界観へ転換するように神様は私たちに問いかけているのです。ですが私たちは、
もはや自力でその世界観から逃れることはできません。だからこそ、祈り求めるの
です。キリストの恵み、聖霊の働きにすがるしかないのです。私たちの必死な呻き
に主が答えてくださらないはずがありません。