巻頭言
1999年12月


1999年12月 5日

「主に讃美する教会」月間を迎えて

牧師 犬塚 修

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 「いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2:13,14)

降誕節を迎えました。一年の締めくくりとしても、とても大切な月であります。しかも来年は 2000年です。どんな思いを持ってこの時を過ごしたら良いでしょうか。

それは愛する主をほめ たたえる高らかな讃美ではないでしょうか。今までどんなに深く主は私たちを開いてくださった ことか…。その驚くべき恵みを数え上げると天の星のように広く高く輝いています。

確かに私 たちの長い人生に暗い谷間をはいずり回るような苦難の時もあったことでしょう。また、明日は どうなるのかと、不安と恐れに胸が塞がる悲哀の夜もあったかも知れません。しかし、よくよく 考えてみると、そこには必ず救いの主の御手があったのではないでしょうか。そしてもう駄目かも しれないという弱い心を励まし、豊かな愛と赦しを与え続けてくださったのです。ですから、たとえ 何かいやなことが起こっても、今までの深い恵みを体験している者として「これも心配しなくても良い」 と確信をもって言えます。また、今、絶望的な状態にあっても主に全て委ねて良いのです。

あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽く せないすばらしい喜びに満ちあふれています。(ペトロ一1:8,9)

主のご降誕の夜、み使いたちは高らかに主を讃美しました。主を愛する者たちに約束された恵みは 栄光ではなく、平安でした。私たちは自分の栄光を求めることなく神から来る平安を求めましょう。 それは信仰による救いの結果与えられる素晴らしい祝福なのです。 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。




1999年12月12日

この汚き闇の中に

牧師 犬塚 契

マリアは、月が満ちて初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ2:7)

冬は寒いから、外で遊べない。しかも、5時にはもう暗くなってとても損している気が する。夏の方が好きだ。日は長いし、半袖、サンダルの軽装で生活できる。しかし、 冬のいいところは、空気がきれいで澄んでいることだ。

真っ暗な夜、空を見ると星が闇に負けず、燦然と輝いている。「光は闇の中に輝い ている。そして闇はこれに勝たなかった」という御言葉を思い出す。キラッキラッ と輝いている星。

神の子として、いつも輝いて生きていけたらと、いつも願う。キリスト者としてい つも証しがなされていけばと祈る。しかし、心を探るといかに闇に支配されている時 が多い事かと思う。疲れてベッドから起きたくない時、不安で寝付けない時、淋しさで 苦しい時、これからの事を考え憂鬱になる時、選択に迷う時…。けれども、ほとんど真 っ暗に見えるその闇の中にキラッキラッと星が輝く。イエス・キリスト。そして、また 立たせていただくのである。

クリスマスのメッセージもそこにあったと思う。満足に光も、お湯も、ぬくもりもない 中に生まれて来てくださった。この汚き闇の中に、確かに星は輝いている。

光のイルミネーション、きれいなクリスマスカード、ラッピングされたプレゼント、明る く彩られたクリスマスに本当のクリスマスが薄められている。緑と赤がクリスマスカラー なのではなく、白と黒がクリスマスカラーのような気がしてならない。そして、黒の逆転は イエス・キリストによってなされた事に、いつも目をとめていきたいのである。このクリス マスの時期、もう一度キラッキラッと輝いている星に希望をおいて歩んで行きたいと願うのである。




1999年12月19日

クリスマス礼拝を迎えて

牧師 犬塚 修

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きとこ ろには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ(ルカ2:13〜14)

私達は生きる事が辛く感じられる時があるかもしれません。ではどのようにしたら、 その心の危機的状況から解放されるのでしようか。

それは私達の目を物事からそむけ、 全く別の所に向ける事によるのです。「視覚吸引作用」というものがありまして、 車を運転してして相手の車に衝突してしまうのは、目前の車に目が吸い寄せられてし まい、目の動きが固定化してしまって、大事故に至るといいます。もし、一瞬、目を 他の所に向けたならば、事故の多くは未然に防ぐことができるそうです。

心の場合も同 じです。私達が飼い葉桶に生まれた御子イエス様に思いを向けたならば、心の不安と 動揺は消えていきます。なぜならば、イエス様はこう言われました。 『何を食べようか』 『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に 求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なこ とをご存じである。 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これ らのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のこと は明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である

この神の御子を 信じる事が平和の源です。神の国と神の義はこのお方の中にあります。即ち豊かな平安は 信仰の賜物です。外が嵐であろうとも、また暗黒の状況にあろうとも、神から来る平安は 私達の心を解放感と自由で満たします。 「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの 平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。 おびえるな」(ヨハネ14:27)。主は私達のすべての重荷を担い、罪を赦し、永遠の救いを与 えられたのです。




1999年12月26日

Silent nightとholy night

牧師 犬塚 契

布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 (ルカ2:7)

クリスマスが、昨日で過ぎた。何度もクリスマスソングを讃美した。一番多く賛美したの は「きよしこの夜」だったと思う。一般にもよく知られた賛美歌だ。カラオケ屋に行って も歌う事ができる。「♪きーよしこーのよる、ほーしはひかり……♪」と賛美すると、 ホンワカした気持ちになる。かわいい赤ちゃんが頭に浮かぶ。やわらかな光が差し込んでくる。

英語での曲名は「Silent night holy night」である。「静かな夜、聖なる夜」と訳せる。 しかし、2000年前のクリスマスを思うと「沈黙の夜、聖なる夜」と訳したい。

神の子が生まれるとなれば、最低限のものくらいは、神様が用意してくださるとマリアは考え ていたと思う。しかし、月が満ちたのは親族も知人もいない旅先であったし、生まれたのは馬 小屋だった。「神様、あなたはどこにいるのですか?」と叫びたくなったと思う。神の子が生 まれるにしては、あまりにもお粗末な場所だった。天使が取り囲むわけでもなく、御使いが祝辞 を述べてくれるわけでもなく、マリアとヨセフにとって「沈黙の夜」だったに違いない。しかし、 羊飼いの上には確かに天使と天の軍勢が賛美しているのが見えた。彼らにとっては「聖なる夜」 であった。「Silent night holy night」。

私達にも沈黙の夜があると思う。如何に祈るべきかもわからない、グッと涙をこらえる夜。しかし、 神様がどこにいるのか分からないような夜にも、確かに神様は生きて働いている。Silent night は、神の目には何時だってholy nightなのである。



TOP