巻頭言
2015年12月


2015年12月6日

「想像できるほどの闇、想像できぬほどの光」

犬塚 契牧師

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 <ヨハネによる福音書1章1-5節>

 笑い話にできる程度の恥をさらし、ちょっとした「やんちゃ」だったと罪の程度をはかり、微笑ましさを覚えるくらいの弱さを見せ、そうやって日常は何だか壊され尽くされることなく過ぎていきます。それはとても柔らかく、温かくもあるでしょう。そんな日々が真綿のようにあって、人は生きていけるようにも思えます。しかし、時々に知らされます。驚くほどの闇の深さと病巣の広がりをです。歴史にも、自分史にも、日常にも、ふとそれが顔出す時、両足は立ち支えることのできない震えを覚えます。今日の聖書個所、ヨハネの福音書の1章1節を読む前に、そんな震えが心を占めています。だから、1節の宣言に触れるとき、驚きと慰めの言葉を同時に聞くのです。「初めに言があった」。ここでの「言」とは、イエスキリストのことだと読み進めて知ります。著者は、明らかに創世記の書き出しを意識して、言葉を始めました。「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1章1節)にマネて…、重ねて…、被せて…、覆って…初めにあった、初めからあった、キリストの存在を表します。世は創造の始めより、キリストを探し求め、実際そこに存在される方なのです。吸い込まれていくような闇からの始まりがあったのでなく、キリストがそこにおられての始まりです。そして、底なしに思える私たちの闇はキリストの前には想像できるほどでしかなく、そしてイエスキリストによって想像できぬほどの光を知らされ得ることを感謝したいと思います。生きる心地を与えられます。



2015年12月13日

「先週の恵み」

犬塚 契牧師

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 <ヨハネによる福音書1章1-5節>

12月2日 「岸先生と読む聖書のたとえ話」  豚汁とおにぎりの食事からスタート。フルーツもあったり、準備に感謝。30名くらい参加。「たとえ話のスペシャリスト」岸義紘先生から、話を聞く前に大野澤さん、詩音さん、大久保さんに発題を依頼。岸先生が話すこともうなくなったのではというような素晴らしいもの。それによって、うんとたとえ話が広がった。スペシャリストは、どこまでも福音書が「イエスキリストさま」を証ししていることを丁寧に、単純に、力強く。

12月3日  招待礼拝「赦されたのに、赦さない人がいます」  巡回伝道者岸先生の渾身。7時と11時、2回のメッセージ。途中、サックスの演奏も依頼。集中するのが大変だったと思う。朝食をご一緒できなかった、昼食をご一緒できなかった。人からの言葉をもう求めない伝道者の孤高に「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。」(Uテモテ4章)のパウロの言葉を思い出す。

12月3日  ゴスペルコンサート  リジョイスファミリーゴスペルクワイヤのクリスマスコンサート。9年目のゴスペルの賛美。多少、固く始まって、どんどん溶けて、驚いた。あんな素敵な雰囲気は、めったにない。歌詞にもメロディにもない賛美が聞こえた。きっとみんな同じように感じたと思う。



2015年12月20日

「素晴らしい喜び」

犬塚 修牧師

 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」 <ルカによる福音書2章10〜12節>

クリスマスに臨んで、私達は自分の所に御子イエスが来られた事を確信する事が大切である。童話作家アンデルセンは「私の一生は美しいメルヘンのようだ」と語っている。彼は多くの苦難とや苦渋の生活を強いられた悲しみの人であった。そんな人がなぜそのように語ったのか、それは、御子イエスと 共に生き抜いた詩人であったからである。彼にとって、人生を織りなす「縦糸は御子、横糸は自分」であり、人生の作品は御子と共に作り上げてきたものと信じていたのである。▲また羊飼いたちは更に厳しい生き方を余儀なくされていた。彼らは夜通し働き続けていた。また社会的にも不遇で、人々か ら見下され、軽んじられた。余りの生活の貧しさに困窮し、疲れていた。そんな彼らの所に御子イエスの誕生の知らせが最初に届けられた。ここに深い慰めと喜びがある。▲彼らは「恐れた」とある。彼らは神の到来を待ち望んでいたのではなく、むしろ世俗の事で頭が一杯という精神的状況にあった事が分かる▲しかし神はそのような彼らを慈しみ、慰めるために到来された。彼らを包んだ栄光は神の愛の巨大さ、深さを現している。サウロは、ダマス コ途上で復活の主と出会ったが、その時も「太陽よりも光り輝く光」に包まれた。(使徒言行録28章)強烈な神の愛の光だけが、私達の救いとなるのである。深刻な難問題の前では、人間的な愛や努力は無力である事を思わずおられない。▲ある結果の次にこそ、真実がある―私達は一つの結果に一喜一憂してしまう事が多い。だが、真理はその先にある。羊飼いたちは最初は恐れ、次に驚き、最後は御子と出会って歓喜している。これが神の歴史支配の在り方である。私達は一つの結果に心が沈んではならない。ある事を熱心に祈り求めても願い叶わず、無残にも失望落胆の結果となっても、決して絶望してはならない。その次にこそ、神は最良の道を用意しておられるのである。その「すばらしい喜び」に向かって出来事は導かれていく。「次の次」があるのだ。▲その最良の結果を得るためにも、時に私達は悲しみと涙の谷を行く暗黒の時がある。御子を宿した「飼い葉桶」は木製ではなく、巨石を彫りくりぬいたものである。人間の心はこの巨石に似ている。その固い心が様々な試練によって、削られ、砕かれていく事で神の御子を迎える準備をするのである。多くのものが私達の心を砕くノミ、またハンマーともなる。心のある部分が深く砕かれる事で、より深く御子を宿す事ができるようになる。



2015年12月27日

「神共にいまして」

犬塚 契牧師

 「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 <マタイによる福音書1章>

 時が時ならば、ヨセフも王であった可能性があります。かつてのイスラエルの王の名前が、彼の系図の中にありますから。しかし、今やユダヤはローマ帝国の支配下にあり、暮らすは僻地ガリラヤの田舎であり、生活は飢えない程度のものでした。数百人の小さな町で、婚約者が妊娠をしたと噂が広がったのは、あっという間であったことと思います。このスキャンダルを跳ね返したり、もみ消したりの財力も権力も余力もヨセフにはありませんでした。「泣きっ面に蜂」の言葉以上に、心はみじめで、孤独です。そんなヨセフに、主の天使が呼びかけました。「ダビデの子ヨセフ」。苗字なき当時、父親の名前の後に本人の名が呼ばれるのは一般的でした。しかし、ヨセフの父の名は、「ダビデ」でなく、「ヤコブ」です。ダビデとは、昔の王、かつての栄光です。この場面で、なんの冷やかしか、嫌みか…。この民族の状況、家族の有様、スキャンダルの内情を知っての呼びかけか…。そう感じたかも知れません。▲皆が皆、打ちひしぐものを抱えて生きています。内にある相剋を隠すことができません。夢かうつつか、希望か幻か、喜びか悲惨か、意味はあるのかないのか、行こうか戻ろうか…。ヨセフにしても然りと思います。それでも、ヨセフは「ダビデの子」との呼びかけを皮肉と取らずに、神の支配にあることと受け止めました。なおも歪みきった歴史を見つめながら、視線を逸らされない神を信じました。彼はまた、イエスにだけ付けられるあだ名を教えられます。『「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。』▲天使はそう語りましたがが、イエスキリストが、「インマヌエル」と呼ばれたことは一度もありません。ならばこれは、気軽なあだ名や呼び名ではなく、肩書です。決してなくなることのない肩書です。「神は我々と共におられる」。それはイエスキリストにとってなくなっては困るものではなく、私たちにとってです。




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