巻頭言
2014年12月


2014年12月7日

「イエスが悲しんだこと」

犬塚 契牧師

 「人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。」<マルコによる福音書3章1−6節> 

 右手を失った人がもういちど右手が生えてくることが奇跡なのではなく、手がある以上の人生が送ることこそが奇跡と理解できるようになって、聖書の奇跡をすんなりと受け入れるようになりました。あった、なかったの話ではなく、そこに動いている出来事に目を向けるようになりました。▲当時の安息日における禁止規定は、刈入れをすることや食事の支度など39の基本事項から、さらにそれぞれに細かな規定を加えられて1512にも規定に膨らんでいました。人々は安息の本来の意味を見失い、詰るような一日があったのではないでしょうか。いのちに関わらない治療もまた禁止されていました。そして、マルコ3章、手の萎えた人の癒しの場面。安息日にイエスによる治療行為が行われるか否かが注目される中、人々に手の萎えた人の痛みへの共感はありません。この人は、イエスを陥れるために連れてこられたのではないかと考える人もいます。伝統的に左官屋だったと言われる彼の失業後の不安や人生の思いがけない転換の痛みは、理解されず、利用されました。「そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら…」。イエスの悲しみは、安息日において、人が人でなくなっていたからなのでしょう。イエスは、彼に「真ん中に立ちなさい」と言われました。それは、彼を見世物にするためではありません。彼を利用して、これみよがしに人々の傲慢さを知らせるためでもありません。彼自身に、伝えることがあるからです。「あなたの課題は、神の課題であり、その痛みは、神の痛みの真ん中です。神の出来事の中に生きているのです」と。連れてこられたにしろ、安息日を大切にして会堂に座ったにしろ、どちらであったとしても彼は応答して、手を伸ばして癒しを受けました。神の前で、神と共に、神の課題として生きる。そう教えられます。



2014年12月14日

「招待礼拝」

犬塚 契牧師

 エリヤは主が言われたように直ちに行動し、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに行き、そこにとどまった。数羽の烏が彼に、朝、パンと肉を、また夕べにも、パンと肉を運んで来た。水はその川から飲んだ。しばらくたって、その川も涸れてしまった。雨がこの地方に降らなかったからである。                <列王記T 17章> 

 春と秋にふじみキリスト教会では招待礼拝をもっています。先週がそれで、横浜ジョイバプテスト教会から石田政美先生がお話に来てくださいました。聖書箇所は列王記T17章でした。大胆な預言と逃亡…その繰り返しがエリヤの生涯にはあったようです。そんなエリヤに神様が命じられたことは、ケリト川に身を隠すことでした。そこは、雨が降らなければ水が流れない水無川でした。神の言葉に従ったエリヤですが、かと言って何不自由なく過ごせたのではなく、カラスの運んでくるパンと肉(いったいどんなものだったのでしょう?)で養われ、ケリト川の水を飲みました。しかし、しばらくして雨が降らなくなるとケリト川の水は、順調に涸れてしまいます。神に従ったゆえのこの有様・・・。信仰生活の中で、すべてが明らかに見えているのではありません。それでも、一歩踏み出します。守りを確認し、ほっとしているとまた新たな局面と課題をいただきます。そんな過程は、私たち自身の歩みと重なるところがあるでしょうか。神様は、一歩先しか見せない方のようです。それは神の知恵によるところで、私たちの知り得ることではありません。その中でもどこか、神の贖いの物語の中に生かされていることを合わせて知らされます。そして、それで私たちは安心して立ち止まったり、立ちすくんだり、前に出たり、振り返ったりできるものだと思うのです。そんなことを一日ゆっくり教えていただいた招待礼拝でした。



2014年12月21日

「星の巡礼者」

犬塚 修牧師

 「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節)<マタイによる福音書2章1-12節> 

 東方の学者たちは、メシヤの星を発見して、遠路はるばるエルサレムに到着した。当時の旅は、命の保証がない決死行であった。しかし、彼等は死の危険も覚悟してでも、全世界の救い主・メシヤを礼拝する事の重要性を知っ ていた。ところが、都では、御子の聖誕を喜ぶ空気は感じられず、人々はこの 世の事で頭が一杯であった。ヘロデ王は彼らに誕生の場所を教えるように命じても、自らはでかけようとはし なかった。さて、学者たちはその星に導かれて、ベツレヘムに急ぎ、御子を拝し、三つの贈り 物を捧げた。これは御子こそが「王、神、死を遂げられる」救い主という信仰の告白 であった。他方、ヘロデたちの行為は、人間の罪、闇の部分を表している。彼は 独裁者であり、自らの力と独占的な権益を脅かす者を許そうとはしな かった。「邪魔する者は消す」という考え方であり、欲望のままに生きる事を選 び取った。また、律法学者たちも、メシヤ予言を知っていたにもかかわらず、ベツレヘムに赴こうとはしなかった。彼らの聖書の知識は頭だけであり、愛と信仰の行為に結び付けられていなかった。民も同じであった。その理由の一つとして、民はヘロデの残忍な性格を知っており、もし、行ったならば、、どんな仕打ちが待っているかもしれないと、恐れた事が考えられる。また民の中には、自分の救いについては、全く無関心な者もいたであろう。彼らは力ある者にはへつらい、自分を殺し、びくびくした受身的な生き方に終始する人間の弱さを提示している。自らの信仰に基づいて行動するよりも、恐れのため、それができなかったのである。それは偽りの平和である。御子はこのような彼らの弱さを知っておられ、癒そうとされた。そして「恐れるな。大丈夫だから」と優しく語られると信じる。一方、東の学者たちは神に対して非常に従順な人々であった。彼らは、異邦人でありながらも、臆する生き方を捨て去り、主を礼拝して生きる道を選び取っている。それは見事な切り替えである。どんなに聖書知識は乏しくても、その真摯な行動、また御子を熱心に求める求道者としての生き方は鮮やかである。彼らこそが星に導かれた真の巡礼者である。



2014年12月28日

「インマヌエル」

犬塚 契牧師

 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。   <マタイによる福音書1章18-25節> 

 ユダヤの結婚は、その両親が相手を決め、両家の合意の中でみんなに結婚が伝えらました。しかし、すぐに一緒になるのではなく、一年間はそれぞれの家に暮らしながら「婚約」の期間を過ごします。既に夫婦ではありながら、一緒に暮らしていない状態に起きたのが、クリスマスの出来事でした。ナザレは人口300名くらいの小さな町だっと言われます。結婚式の前にマリアが妊娠したニュースは、瞬く間に広がったと思います。ヨセフは「だらしない男」と呼ばれ、マリアは「ふしだら」と呼ばれたことでしょう。ヨセフは、苦悩の中で二つのことを決めます。19節「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」。つまりは、裁判にかけないことと結婚もしないことです。裁判にかければ、濡れ衣をはらすことが出来るかも知れませんが、自分だけ楽にはなりたくはない。では結婚できるかと言われれば、律法違反になるので、結婚もできない。やはり、二重にもヨセフは「正しい人」だったのです。正しくとも痛みは残ります。しかし、夢での幻によって、正しさを超え、そのままマリアを受け入れ、結婚することになりました。▲どうしてヨセフは、そんなことが可能だったのかと考えます。デートを重ねてマリアの人格に惚れ込んだのでもなく(親が決めた相手でした)、よほどマリアが美しかったわけでもなく(正式な結婚前で、まともにマリアを見ることができたでしょうか)、ヨセフは人の正しさの届かない哀しみを知っていたのではないかと思うのです。御使いが「この子は自分の民を罪から救う」と語った時、その父親になれる名誉の獲得を願ったのでなく、自分の正しさで贖われない人の有様をそのまま差し出したのです。





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