巻頭言
2010年12月


2010年12月5日

「いのちのリレー・・・先週の説教要旨」

犬塚 美佐子

 私はかつて学生の頃、どの歴史観に立つかは非常に重要だと教えられた。「円環説」に立つと、歴史も人も、誕生し、繁栄し、没落し、死滅する。「螺旋階段説」とは、自然は淘汰され、人間の力で歴史は完成すると教え、結局は唯物論に傾く。三つ目は「直線説」の視点である。私たち聖書信仰に立った者にとっては、初めと終わりがあるという直線の歴史は、神の創造された有限の世界であり、また神の栄光が現れる舞台となる。▲漠然とではあるが、この直線の史観に触れたのは、小さい頃で教会学校で教えていただいた時である。イエス様の誕生をファ−スト・カミング(初臨)と呼び、世の終わりに十字架にかかり、復活され、天に昇られ、再び天から雲に乗ってこられることをセカンド・カミング(再臨]と呼ぶと教えられた。自分が歴史のどの部分を生きるかは解らないとしても、初めがあり、終わりが分かっている歴史の中に、確実に自分の存在があることに、言いようもない平安をいただいたものだった。▲しかし、現実には光があり、闇がある。私達は光を喜び、闇に泣く。百歳のアブラハムと老いた妻との間に子が与えられていく無から有の方向性は、光の中の光として歴史に刻まれている。しかし、創世記22章では、有そのものであったイサクを「全焼ののいけにえとして捧げよ」という神の命令が記されている。ここには悩むアブラハと言葉を失って立つサラがいる。このように、有から無への方向性は、私たちに混乱と動揺をもたらす。しかし、サラはひたすら神の愛と主権を信じて沈黙して闇に立ち続ける。▲マザ−テレサの生き様を見ると、常に愛と確信に満ち溢れていたかのように思ってしまう。しかし実は、この偉大な人物もある時期は、神の恵みが感じられず、人知れず苦悩した人でもあった。テレサはイエス様と出会ったばかりのj頃は、喜びに満ちていたが、やがてその感情も消え失せ、スランプに陥っていた。ある時、神に見捨てられたかに見える闇の心の中で、「渇く」と言われた十字架上のイエスに出合う。このイエスの「見捨てられ体験」の渇きこそが、世の救いに必要だった。この「渇き」なくして、私たちの救いはなかった。自分の体験と重ねて、闇の真の意味を知り、更にカルカッタの闇への献身に導かれていた。光も闇も栄光の舞台としてあることに救いがある。



2010年12月12日

「ゆるしを受けて・・・先週の説教要旨」

犬塚 契

 そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」    使徒言行録21章13節

 3度に渡ったパウロの伝道旅行の終盤。パウロの願いは世界の中心ローマで伝道することだった。のちに彼は囚人としてローマに行き、その願いは果たされることになる。しかし、その前にパウロにはもう一度訪ねなければならない場所があった。エルサレムである。そのいきさつが21章に書かれている。大きな船、小さな船を乗り継いでの旅だった。ティルスという港に着く。ここにもクリスチャンたちが教会を建てていることをパウロたちは聞いていたのだろう。タウンページもインターネットもない時代。大きな港町だったので、クリスチャン達を探すのは難儀と思うが、見つけ出して交わりは広がった。わずか七日間だったが、その内容は非常に深いものだったと別れのシーンから推測できる。「しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り…」。ティルスのクリスチャン達がこの場所に来たのは、かつてのパウロ(サウロ)の故ではなかったのではないだろうか。パウロのすさまじい迫害に彼らはすべてを捨てて、命からがら逃げてきたのではないだろうか。それがいまや同じイエスを救い主と信じている不思議に双方驚きを新たにしたことと思う。その後に出会うフィリポ一家も同様である。フィリポの友人ステファノは他でもないパウロによて殉教した。しかし、その一家の家にもパウロは泊まっている。▲パウロをパウロたらしめているものは、「百戦錬磨の伝道者パウロ」ではない。いまや「伝道生活数十年のパウロ」でもない。まさに主イエスの赦しを受けて、そこに立たされるパウロである。多くの人がエルサレム行きは危険だとパウロを引きとめた。しかし、パウロは「主イェスのためならば」と言い切った。パウロの確認したい土台が他でもないそこにあったからだ。偉大になったパウロの名で生きるのではない、どこまでもイエスの名で生きる。パウロはそれを今一度身に刻みたかったと思う。



2010年12月19日

「ひとつ 降りて・・・先週の説教要旨」

犬塚 契

 「・・・すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」パウロと千人隊長パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだった・・・」  使徒言行録22章21-23節

 異邦人に対して開かれた伝道を続けていたパウロのエルサレムへの暴行。その原因は神殿に異邦人を招待したとの誤解・デマからのでたものであった。ユダヤ人たちの暴動・デモを嫌がるローマは早急に事態の収束を図り、パウロを担ぎ上げ、群集から引き離そうとする。しかし、パウロは千人隊長の許しを願い出て、今一度群集に弁明の機会を得た。パウロがギリシャ語でなくユダヤ人の民衆の言葉を用いて話し始めたので、民衆は静かになった。しかし、上記の聖書箇所。異邦人の救いをパウロが語ると民衆は再び殺気立ち、もうそれ以上の言葉を続けることはできなくなった。▲パウロは、ユダヤ人は救われないと語ったのではない。異邦人も救われると話したのだ。しかし、律法を守らなければならないと信じる人々からは受け入れられないことだった。今までの努力も自分の立ってきた場所も苦しい時に支えたアイデンティティーも崩されてしまうからだ。悲しいかな今やその熱心が人をどうしようもなく固くし、耳をふさいでしまった。▲ユダヤの歴史と文化に身をおいたこととがないので、彼らの固執が奇妙にも見える。しかし、自分が疎外を感じた時の自分のかたくなな反応や人との関係において心を頑固にし上手に聞けなかったが故に壊れそうになった関係のことを思い出す。▲イエスキリストは、「こっちまでおいで!」と若干遠くに目標設定し、弟子達を教えたわけではなかった。弟子達の足を僕のように洗ったのだった。ひとつ降りて、来てくださった故に救われているのだとクリスマスに改めて思う。 「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」ヨハネ14章13節



2010年12月26日

「ふるえた夜に・・・先週の説教要旨」

犬塚 契

 その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。   使徒言行録23章11節

 エルサレムでのユダヤ人たちのパウロに対する尋常ならざる怒り。ローマの隊長はその理由を知るべく、祭司長たちを招集し、パウロと対峙させた。パウロVS祭司長たち、それを見物するローマの軍隊。パウロの語りだしは「兄弟たち」という言葉だった。親しみのある同胞に向けた語り口だが、大祭司だったアナニアはその言葉に腹を立てた。大祭司様に向って、兄弟たちとは何事か!と。もっと相応しい言葉があるだろう!と。大祭司アナニアはその地位と物欲に固執し、通常4年で終える任期を10年以上も続け権力を握り続けた悪名高い祭司だった。恐らくはパウロもそのことを知っていただろう。大祭司の気分を害したパウロは口にビンタを張られる。ジリジリする痛みの中で抗議もするが、皮肉にも取れるような言い回しだった。召集された最高法院を見渡すとファリサイ派とサドカイ派の人々がいることに気付く。パウロの思いついた方法はその間につるぎを投げ込むようなものだった。『パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議場で声を高めて言った。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」』6節。その一言によって議場は混乱し、分裂した。ローマの兵隊が中に入って事態はようやく収束する。▲囚われているパウロの夜を想う・・・。同胞たちの殺意の目に一日さらされてきた。疲労は極限に達している。大祭司に「兄弟たち」と呼びかけたはいいが、今思い返せばそれも相応しかったかどうか。物議を醸す「復活」をわざと投げかけた。本当に伝道メッセージとしてそのことを伝えたかった思いもある、しかし心の片隅であわよくば双方が喧嘩して混乱すればよいとも思った。そう、ひよったのだ。なんともイエスキリストの裁判シーンと違うことか・・・。ふるえる夜。エルサレムの教会からの差し入れもない。外から抗議の賛美も聞えてこない。今日は何とか首の皮一枚で助かった。しかし、明日はどうか。▲その夜に語られた言葉が上記の言葉だった。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように・・・」。あなたは、本当によくやっているよ、そして、予定通りローマへも向うのだ。パウロはまたふるえたと思う。


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