巻頭言
2004年11月


2004年11月7日

「教育と神への畏敬」月間を迎えて

牧師 犬塚 修

アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じ たのです。 ヘブライ11:19

アブラハムは主なる神から「あなたの子イサクをささげなさい」という命令を 受けました。彼にとって奇跡的に与えられた最愛の子を失うことは、断腸の思 いでした。又、それはただ親の愛情問題にとどまらず、以前に与えられた主の 契約が破られることにもなったので、深刻な信仰的問題でもありました。「主 の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれ る者が跡を継ぐ。」(創世記15:4)とあったからです。「私の後継ぎはどうなる というのか。イサクをささげて良いことなど何に一つもないではないか…」と 思うと、心は混乱し、主の業が分からなくなり、信仰はゆさぶられたことでし ょう。しかし、アブラハムは「死者は復活させられる」という天啓の信仰によ ってどん底から立ち上がります。いかに主のなさる事が不可解に見えても、主 の命令に黙々と従ったのです。この絶対的な服従の行動が、信仰の鮮烈なモデ ルとなりました。私たちが辛く厳しい状況下であっても、復活信仰の炎は赤々 と燃え続けることができるという生き方を実証したのです。それこそが、神へ の畏敬に満ちた信仰でした。その時、「御使いは言った。「その子に手を下す な。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かった からだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜 しまなかった。」(創世記2212)と続きます。ヘプライ11:19に「生き返らせる ことが」でなく「こともおできになると信じた」とあります。「が」では「生 き返らせる事---これ以外にない!」という、大変、選択肢が狭められた感がし ます。しかし「ことも」には「主のなさる復活のみ業は無限で、その道は広大 で、主は驚くべき業をされる」という平安と喜びがあります。主への絶大な信 頼があります。「が」よりも「も」の信仰は、私達を広い恵みの領域に導く畏 敬の信仰です。



2004年11月14日

畏敬の心でささげる

牧師 犬塚 修

弟子たちは言った、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持ってい ません」。イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。…天を仰い でそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された…みんなの者は食べて満腹 した。食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。  マタイ14:17〜21

5つのパンと2匹の魚をささげた弟子の行為が5000人以上の大群集を満腹 させたという驚くべき出来事は私達に深い真理を教えています。「こんなわず かなものをイエス様にささげても、それが何の役にたつのだろうか。主はこん なものを必要とされてはいないだろう…」という勝手な思い込みによって、主 の偉大なご計画を阻止する結果をもたらします。思い切ってささげたならば、 すばらしい恵みの世界が広がっていくのです。確かに、私達が今、手に持って いるものは、価値がなく余り意味の価値もないように感じられるかもしれませ ん。しかし、勇気を出し、熱い思いを込めて自分自身を主にささげるならば、 新創造の業が始まります。大切なことは、主への真摯な信仰であり、果敢な実 践です。主に感謝をこめてささげる愛の行いは、必ず豊かな実を結ぶでしょう 。主は私達の心を御覧になります。 恐れず、自分を守ろうとせず、惜しまず、 自分の大切な宝物を喜んで主にささげましょう。ソロモンの祈りの後、民は大 きな喜びをもって尊いささげものをささげました。それは大きな感謝の告白で した「ソロモンは和解の献げ物として牛二万二千頭、羊十二万匹を主にささげ た。こうして、王はイスラエルのすべての人と共に主の神殿を奉献した。…焼 き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物である動物の脂肪をささげた」 (列王記上8:63〜64)祝福の秘訣は、恵みを受けることだけを考えず、まず主 にささげることにあります。花は種を蒔かねば咲きません。霊的世界において も同様です。主のものをお返しして生きる道は、清々しい聖潔にいたる道です 。主への感謝と賛美に溢れ、主の期待に応えて大胆に生きたいものです。



2004年11月21日

幸せな生涯

牧師 犬塚 修

女王は王に言った。「私が国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞 いていたことは、本当のことでした。私は、ここに来て、自分の目で見るまで は、そのことを信じてはいませんでした。しかし、私に知らされていたことは その半分にも及ばず、お知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えて います。あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立っ てあなたのお知恵に接している家臣たちはなんと幸せなことでしょう。 列王記上10:6〜8

私達は現在、共に列王記を学んでいますが、若きソロモンの輝きに満ちた勇姿 に圧倒されたものです。ここでも、シバの女王もソロモン王国の栄光に驚嘆し 、上記のような最大級の賛辞を送っています。そして、これは私達自身の告白 でもあります。私達にとってイエス様はソロモン以上のお方なのですから。王 イエスの忠実な臣下として歩むならば、私達の一生は必ず幸福と歓喜に満ちた ものとなるでしょう。私達に約束された神からの天来の祝福は、信じられない ほどの巨大さと深遠さです。今、私達が想像しているものよりも何倍の大きさ です。神の知恵も大河のように豊かです。「あなたのお知恵に接している家臣 たちはなんと幸せなことでしょう」と賛嘆しています。「知恵と知識の宝はす べて、キリストの内に隠れています」(コロサイ2:3) 私達に与えられた霊的 な祝福は人の予想をはるかに超えています。過去、現在、将来に犯すかもしれ ないすべての罪の赦しと完全な解放! 永遠の命の授与!万事が益とされる確 信と感謝の日々、悪魔からの強くて固い守護、神の子イエスとの愛の交わりな ど数知れない恵みです。その恵みは無数の真砂のように多く、夜空の星のよう に輝いていて消えることがありません。哲学者パスカルはその感動を次のよう に書いています。「確実、確実、感動、歓喜、平和、イエスキリストの神、… 汝の神はわが神ならん、神以外の、この世および一切のものの忘却」(1654年1 1月23日(月)夜1030より0:30まで)その歓喜が熱く伝わって来ます。



2004年11月28日

アドベントを迎えて

牧師 犬塚 修

闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。 イザヤ9:1

今日からアドベント (待降節)が始まります。私たちの心の中には美と醜、強さ と弱さ、光と闇の部分が混在しています。調子が良い時は問題はないのですが 、一度、悲しい出来事が起こると、心は弱くなり、自分自身を否定し、生きる 希望さえも捨ててしまう事はないでしょうか。しかし、飼い葉桶に誕生された 御子は、死の陰でおびえていた私たちにとって、雄々しく生きる希望の星とな られたのです。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちの ために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されまし た。」(ロマ5:8)確かに今、自分は闇の中、死の陰に住んでいる者であるかのよ うに感じるかもしれません。しかし、大空が暗黒に彩られるほど、月光や無数 の星々が輝くように、私たちの弱さや罪の現実にあっても、神の恵みと愛は失 われる事なく、むしろより輝きを増すのです。「律法が入り込んで来たのは、 罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはな おいっそう満ちあふれました」(ロマ5:20) ですから、私たちは自分や他者の罪を凝視する悪しき習慣から解き放たれまし ょう。主を信じる事で、赦されているという強い確信に立ちましょう。「キリ ストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ 去り、新しいものが生じた」(第二コリント5:17)童話作家アンデルセンは、貧 しさゆえに棺桶の中で産声を上げましたが、彼の母親は聖書から、神の御子イ エス様が飼い葉桶で生まれた事を知っていましたので、絶望する事はありませ んでした。確かに彼の童話創作の秘訣は、キリストと共に生きた信仰にありま した。御子は私たちのために、辛い現実の中で誕生されました。それは私たち すべての苦労、悲哀、失敗、罪、恥辱、苦難、孤独などを自分のものとして引 き受け、十字架に釘づけるためでした。


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