巻頭言
2022年10月


2022年10月2日

「その時まで、その時には」

犬塚 契牧師

こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。「主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。」彼は答えた。「ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。<ダニエル書12章>

 ダニエル書、最後の章。ダニエルの見た幻とそこでのやりとり。大天使長ミカエルが苦難の知らせと旧約聖書で稀有な復活の希望を語っています。幻の証人のように二人の使いが川の両側で聞きつつ質問もしています。そして、思わずダニエルも問うのです。「主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか」。数秒先のことも分からない身ですから、不安はいっぱいです。苦しみの渦中にいるときは、なおのこと同様の問いというか、うめきを持つものです。自分の苦労のことならず、家族、友人のこともあるでしょう。「これらのことの終わり」を知りたいですし、起きている出来事のこれらがどこにつながるのか分かりさえすれば、いささか楽にもなるでしょう。人生において、そんな祈りを持たずに生きられる人がいるでしょうか。誰もが避け得ぬ言葉に思えます。ダニエルの興味本位ではなく、いのちの叫びの問いかけです。主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか」。▲しかし、答えは「ダニエルよ、もう行きなさい」でした。なんと。…しかし、思えば、ずっとそんな返答を受けて、生きてきたような気がします。なんだか、悔しいような、ずるいような、それでよいような、守られているような、「生かされてある日々」が続いています。すべては見えず、すべては知らされず、見えないまま、知らないままを手探りで、それぞれの苦労を生きます。代わりができないそんな孤高にこそ、主イエスの受肉と十字架の想起と復活によって示された神の御想いへの気づきが与えられるのでしょう。それを信仰と呼んでいます。▲ダニエル書を読み終えます。バビロン捕囚の最中の出来事を描いていました。書かれたのは、450年後の新しい「バビロン」の勃興の時のようです。市井の人は、興隆と衰退を繰り返す「バビロン」に翻弄されつつ生きざるを得ません。現代も「捕囚」が続いているままです。ただ、それでも、生き得るのだと。それでも生きていけるのだと、教えられて、ダニエル書を閉じています。



2022年10月9日

「バビロンからの帰還」

犬塚 契牧師

主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。」     <エズラ記1章> 

 戦いに負ける、神殿が破壊される、人々が移住を迫られる…バビロン捕囚に限らず、古代オリエント世界では、国々の戦いは、神々の戦いでもありました。そんな世界の中で、イスラエルは負けたのです。ならば、主なる神への信仰を捨て、勝利した神へ変わるのが通常の流れであり、神を乗り替えてしまうのが成り行きでした。しかし、愛国心ある預言者たちは、これを一時のつまずきと理解し、数年の辛抱の後に戻ることを預言いたしました。(エレミヤ29章)その当時に生きていれば、そんな「希望」のメッセージに心躍ったかも知れません。よい知らせを信じたいものです。しかし、聖書の預言者のひとりエレミヤは、伝えます。「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、…あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。」(エレミヤ29章)バビロン捕囚は、簡単な通り雨ではありませんでした。長い時間が必要です。裁かれ、見切られるのは神ではなく、私たちの側であるのだとの預言が響きます。破れた国の神、神はなお神でした。そんな独自性を保った国は、イスラエルだけでした。▲エズラ記1章は、そのバビロンもまたペルシャに破れ、捕囚が終わることを告げます。ペルシャの王キュロスは、寛容な宗教政策を執りました。民を帰らせ、神殿を再建するように命じます。それはキュロスの主なる神への信仰心でなく、エジプトと隣接するイスラエルの地政学的理由であったでしょう。…だとしても、「主は、…キュロスの心を動かされた」のです。人間の不誠実に関わらず、為される神の誠実が慰めに思います。



2022年10月16日

「神殿建設の喜び」

犬塚 契牧師

第七の月になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって一人の人のようになった。…昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することができなかった。民の叫び声は非常に大きく、遠くまで響いたからである。<エズラ記3章> 

 バビロン捕囚から戻ってきた人々による「礼拝の開始」がエズラ記の3章でした。神殿の基礎が据えられると、待ち望んでいた人々の期待は高まりましたが、それはソロモンが建てた神殿を知る高齢者たちにはあまりにみすぼらしくも見えました。そして、この礼拝の日、喜びの声と泣く声とが同じ場所にあり、同じ時間を共有していました。不思議な日となりました。▲喜びと悲しみは同じ箱に入れないと覚えてきた気がします。それらは共存できないはずでした。「悲哀排除症候群」と言われる現代においては、なおのこと悲しみの積極的意味など見つけられようもなく、それは異常さの表れ、病気の兆候のような位置づけがあります。そして、「なぜなぜ、どうして」と悲しみは二重となるのです。▲森有正が、Desolation(荒廃、惨めさ)とconsolation(慰め)という言葉を使いながら、それらがひとつのものとして感じられる感覚の尊さを書いていました。そして、人間が人間らしくあるということは、このことだけだとも語っています。(「バビロンのほとりで」)なるほど、感じつつ読みました。エズラ記の3章を読んでいます。喜びであろうと叫びであろうと、それらが入り混じり、共にあって、そこで人間の生身がさらされつつ礼拝となっていく様子に慰めを覚えています。きっとそれらの双方の間に立つ神の姿があるからです。長く生きていれば誰かに梯子を外されたことも、外したこともあるでしょう。頼りになる時があったかも知れませんが、頼られて耐えきれなくなったこともあります。喜びはともかく、涙を受け止めることができませんでした。しかし、礼拝においては神ゆえに双方が受け止められていきます。



2022年10月23日

「神殿の完成」

犬塚 契牧師

ユダの長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言に促されて順調に建築を進めていたが、イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって建築を完了した。この神殿は、ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。<エズラ記6章13−22節>    

飛び飛びでありましたが、日本バプテスト連盟の聖書教育に従って、ダニエル書、エズラ記を読んできました。これからネヘミヤ記を読み、新約のルカによる福音書で、クリスマスを迎えます。あらためて今から2500年前の出来事に触れ、古くも新しいメッセージに聞いています。イスラエルはバビロニア帝国によって国を失い、おもだった人たちは、バビロンという多郷で生きることを強いられました。しかし、そのバビロニア帝国もほどなくして、ペルシャ帝国に滅ぼされます。エズラ記1章の舞台です。さらに後の歴史は、バビロニアのアレキサンダーの統治とその瞬き、ローマ帝国の台頭を残します。聖書の歴史を思いめぐらしていると遊びに来ていた中学生たちが平家物語を諳んじていました。「祇園精舎の鐘の音…盛者必衰の理をあらはす…たけき者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」。バビロンは滅びても捕囚は続きました。今もまた新たな捕囚の渦中を生きています。天皇制捕囚期、同調捕囚期、マモン捕囚期、コロナ捕囚期…。エズラ記6章は、バビロン捕囚から戻った人たちが、途中の停滞を経験しつつも、新しい神殿(第二神殿)を完成させたことを書いています。喜びの日であったことと思いますが、その過程と共に読むときに、どんなに一生懸命であっても人の成すことの排他性や悲しさ、もろさを自分の足元に照らして、痛切に思わされています。なんだか共にやれないのです。エズラ記にしろ、聖書の歴史書は、懸命に描かれつつ、なお届き得ない飢え渇きを示しています。神と人とが出会う場である「神殿」の完成を伝えつつ、どうしても埋めきれぬ空白を示しています。それは切なる祈りとなって、次の神の計画へ期待へと繋がれていきます。エズラの時代から500年を経て、ローマの時代に主イエスが生まれます。神の本音でありました。数年のわずかな公生涯を間近で触れた人たちの告白で、そう信じるようになりました。マザーテレサは、主イエスにこう触れていました。「ほんとうのところ、真実の祈り、実在する祈りはただ1つです。それは、キリストご自身です。全地から立ち上がる声はただひとつ、キリストの声です。祈りとは、このキリストとひとつになることです。祈りです。祈りこそ愛の源。心を燃やし続ける愛の源。」



2022年10月30日

「心に責められることがあろうとも」

犬塚 契牧師

心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。<ヨハネの手紙T 3章20節>

毎年、秋の始まりに召天者記念礼拝を行い、故人を覚えつつ、その歩みを導いた神を礼拝しています。少し前までは、「生まれることと死ぬことは神の御業のどまん中」だと話していました。選べないその日を表現したつもりだったのです。しかし、だんだん自信がなくなりました。朝鮮半島出身のKさんは、ずっと体の不調を訴えつつ、洗礼の時には意識が戻り、その後、急いで来日したかつての家族の滞在中に召されました。振り返れば苦労が多かったUさんは、一番大変な時期はしっかりと生き、様々が落ち着いた89歳の時、「闘病期間一日」で天に帰りました。ひとりアパートで亡くなっているのを見つかったAさんは、その一年前に電話で教会での葬儀の希望と費用の準備があること、また結婚式と葬儀の違いなどを電話で伝えてくれていました。彼が見つかったのは、教会で結婚式のある日でした。南カナンハウスで、最後を迎えられたMさんは、妹さんたちに手を握られつつ、ほとんど食べずに40日を生き、あと数時間かも知れないと言われつつ2週間を過ごしました。言葉は出なくなりましたが、「ありがとう」を生きることによって示しつつ、もう十分と言うかのごとく静かに召されていきました。死ぬとは、「神のみぞ知る」という神の専売特許なのではなく、ひょっとしたら神と人との共同作業なのかも知れないと思うようになりました。なんだか、子どもたちのかくれんぼの声が浮かびます。「もういいかい」「もういいよ」▲しかし、「もういいよ」と答えるに、あまりに「心の責め」が激しいのです。パウロは書きました。「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7章)なるほど、その通りだと思います。慰めは、次の章において、パウロは自分を主語にすることから、主イエスを主語にすることに代え、力ある言葉を残しています。「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」(ローマ8章)▲召天者記念礼拝で故人のお写真を並べます。思い出す人柄をそのまま写しているものも不釣り合いに思えるものもあります。そして、よく知っている方もお会いしたことのない方もおられます。信仰を全うされた方も教会に来られなかった方もおられます。天に凱旋された「信仰の大先輩」というまとめは、美しくともいささかためらいが交ります。聞いていれば本人もしかりでしょう。死後、勝手に美化してしまうのは、私ならなしにしてほしいです。(心配無用かも知れませんが…)ヨハネの手紙T3章を開き、説教題もここからそのまま取りました。「心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」これが本当ならば、「もういいよ」という言葉をいつかの時のために心の引出しにしまっておける気がします。




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