巻頭言
2010年10月


2010年10月3日

「そこここに・・・先週の説教要旨」

牧師 犬塚 契

ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」。        使徒言行録 12章

 12使徒のひとり、ヤコブが捕えられて首をはねられて殺された。イエスキリスト誕生の時、ベツレヘムの子どもたちを虐殺したヘロデ大王の孫ヘロデ・アンティパスの仕業だった。ヘロデ・アンティパスはローマ皇帝に服従し、支配民のユダヤ人機嫌を取り権力の座に固執した。ヤコブの処刑がキリスト教を嫌う正統的ユダヤ人の受けがよかったのを見て、その触手はペトロにも及んだ。明日明日にもヘロデ王の人気取り・世論操作のネタとしてペトロの首が飛ぶその前夜、彼は“起され”“帯と履物”が返され、“上着”を与えられ、暗い牢獄を案内されて外に出た。それは夢のような出来事で、名も知らぬ天使の働きだったと言う。▲ヤコブが殉教する時、ヤコブの死を恐れない神への信頼を見たローマの役人が私もキリスト者だと告白して一緒に処刑されたという。もともと番兵という仕事に就く者たちは弱い立場の人々が多かったという。ペトロの見守らねばならない番兵たちの中にも何とかペトロを救い出してあげたいと思う者がいても不思議ではない。そんな働き方を神様はしたのかもしれないとも思う。天使でもよし、神に動かされた人でもよし。「そこここに」に神の働きの中を生かされ、守られての歩みがある。▲なんと多くの天使たちの働きに救われてきたのだろうか。名も知らぬ、恩返しもできぬ、礼も言えぬ人々に圧倒的に囲まれて生きている。それらを時に覚え、感謝に変えて歩みを進めたい。賛美に変えて歩みを進めたい。こちら側の都合うんぬんに関わらず、神はなお神であり、よいことをなさる方だと。▲「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」民数記11章23節



2010年10月10日

「織りなされる群れ・・・先週の説教要旨」

牧師 犬塚 契

アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。        使徒言行録 13章

 アンティオキアに教会が建てられ、成長した経緯は使徒言行録の11章に詳しい。タンポポの綿毛のようにか、殉教者ステファノの血が飛び散ったようにか、クリスチャンたちはエルサレムから離散しながらイエスキリストの十字架と復活の出来事を伝えていった。そして、ローマ帝国の第3の都市であったアンティオケアのユダヤ人社会にもその福音は伝えられた。当初、50万都市のユダヤ人社会のみの話であったが、行き来の激しい都市の教会、時待たずして異邦人にも知らされ、やがてこのアンティオケア教会は本家本元のエルサレム教会を超えて、世界宣教の拠点となるのだった。そのメンバーの紹介が今日の箇所13章にある。▲「聖霊と信仰に満ち」ていたバルナバ(11:24)は、「慰めの子」とも呼ばれ、筆頭に登場する。このバルナバの豊かな性格、あたたかな慰めこそ、アンティオケアの雑多な教会をまとめる助けになった。後にマルコの福音書の著者マルコもパウロからは見放されながら、バルナバに支えられてその使命を全うする。なんとも神様の適材適所をみる。「ニゲルと呼ばれるシメオン」は、アフリカをルーツにもつ黒人のクリスチャンだったようだし、ヤコブの首をはねた領主ヘロデの親戚マナエンも安穏の生活でなく、迫害される者の道を選んだことが分かる。最後に登場するサウロがこの教会から宣教師として派遣されるようになる。▲自分の浅ましさが見せられたり、強さに隠されていた弱さが露呈したり…往々にして痛みを負うような癒しの過程を歩むためには、たくさんの出会いが必要だと思う。そんな中で「支えている」という錯覚は、「支えられている」という自覚へと変化して、傲慢が砕かれて、関係は再創造されていく。与えられている雑多な出来事は、なお私自身が神の業を知るためなのだと。



2010年10月17日

「おだてられても蔑まれても・・・先週の説教要旨」

牧師 犬塚 契

アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。        使徒言行録 13章

 リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。   使徒言行録 14章  それぞれの町に建てられたユダヤ人たちの会堂を使っての伝道旅行。けれども、リストラの町には会堂がなかったようで、パウロは路上で宣教をした。10人、ユダヤ人がいればそこに会堂を作ったといわれるから、リストラはユダヤ人たちの少ない、本当の異文化世界だったと思う。旧約聖書やユダヤの文化、背景を知らない人々への伝道に、パウロたちは戸惑ったことだと思う。また、後にパウロとバルナバが神々とされた出来事を見てもリストラの人々は、パウロの前を素通りするばかりで聞いていなかったのではないか。誰も立ち止まることなく、足早に過ぎるだけだったのではないか。けれども、来る日も来る日も路上に立つパウロの前に、一人耳を傾ける者がいた。それが生まれつき足が不自由な男。彼の初めの動機は暇つぶしだったかも知れない。それでも熱心に語られる言葉を家に持ち帰っては床の上で思い起こし、「よし明日も聞きに行ってみよう!」と思わされたのではないだろうか。パウロにしても足早に過ぎ去るリストラの人々の後ろに座る、このひとりの男に一生懸命だったと思う。▲何も持たず生まれても高慢になりがちな人間、不自由になってそこに座らされなければ聞き得ない言葉がある。普段、聞かなくてもよいような言葉ばかりを集めて、あたふたしているだろうか。罪によって神と引き離されて以来、人は寂しさを抱え、孤独を知る者である。しかし、孤独に思うその時こそ、心を静めて、主イエスのなぐさめの言葉を聴いていきたい。



2010年10月24日

「一致と別れの双方に・・・先週の説教要旨」

牧師 犬塚 修

「議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。」 使徒言行録14章7節

 数多くの宝石の中で、ダイヤモンドは最も、美しく、高価であり、また硬くどんな石も砕き得る。その絶大な価値は比類ないものである。主キリストを信じる人の価値はこのダイヤモンドに良く似ている。「あなたの額を岩よりも硬いダイヤモンドのようにする。」(エゼキエル3:9)▲使徒ペトロは困難が予想されたエルサレム会議において、大胆に「神は…わたしをお選びになりました」と自己宣言した。その宣言は「私は恵みによってダイヤモンドのような者とされた」という確信に基づいていたと信じる。もし、ペトロが「自分は何の価値もないくだらない石」と考えて、弱々しく自己卑下したならば、厳しい議論の場で、救いの自由と無差別性を伝える事はできなかっただろう。エフェソ6:16の「信仰の盾」の「盾」は、兵士の全身を隠した扉のように大きな大盾のことであった。従って、兵士は飛んでくる火の矢に傷つけられる事はなかった。私達は人の冷たい仕打ちや苦しい出来事によって、心が傷つけられることがある。しかし、私達のすべては、全能の神に守られている事を確信し、自分は高価な宝石として主に尊ばれ、選ばれている事を疑わないで生きる事が肝要である。天の父の守りは完全であり、どんな困難にも打ち勝つのだ、▲今年の夏、南米のチリで起きた大落盤事故による33人の労働者の奇跡的な救出には感動した。彼らは70日間、死の不安と恐怖に立ち向かい、見事に勝利した。新聞には彼らのほとんどはキリスト者であったと記されていたが、心を一つとして神に祈り、救いを信じ続けたのだ。ゆえにパニックも起こらなかった。ある一人は「自分は悪魔の手ではなく。神の手をつかんで離さなかった」と語った。彼らは勇敢にも信仰に立ち、日々、迫り来た否定的、破滅的な悪しき思いにも別れを告げたのだ。



2010年10月31日

「神の地図を生きる・・・先週の説教要旨」

協力牧師 犬塚 契

さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。    使徒言行録 16章

 前の15章にバルナバとパウロが、臆病者マルコを伝道旅行に連れて行くか、否かでもめて、別行動を取るようになったことが書かれている。タルソにいたパウロを伝道の一線に呼んだのはバルナバであったし、パウロを育てたのもバルナバの豊かな性格だった。しかし、残念なことに一回目の伝道旅行を終え、「さぁ、もう一度訪問してみよう」という時に亀裂が入った。バルナバはマルコを連れてキプロスへ、パウロはテモテを連れて北へ向った。そして、これからはパウロの旅行が聖書に記され、バルナバの足跡は消えていってしまう。▲しかし、パウロの望むようには事は運ばなかった。上記の聖書箇所を読むと、アジア州で御言葉を聖霊より禁じられ、ビティニア州にも行けなかったと書かれている。望むところはすべてふさがれた。使徒言行録の記者であり医者であったルカはその理由の詳細を書いていない。パウロの持病が悪化によって、医者のいない田舎町に行けず、港町トロアスに行くしかなかったのだろう。実際、トロアスから医者ルカがパウロの旅行に付き添っている。「わたしたちは…出発した」というルカの表現から分かる。伝道者であり患者ともなったパウロがある。▲進路変更の連続。バルナバとの別れによる心労、望まぬ進路変更、治らぬ肉体的痛み…。「自分の地図」にはないものだ。思い描く予想や理想とは違うものだ。しかし、「神の地図を生きる」とは進路変更の只中で、主イエスと地図を広げ、描いていくことである。そこには敗北が勝利と変わることがあり、涙と喜びが合わせて存在することもある。そして、天に召された一人ひとりを思いながら、最後の進路変更は復活であると思う。滅ぶべき者が招待を受けている。


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