巻頭言
2009年10月


2009年10月4日

「今を生きる」

牧師 犬塚 修

「なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救 いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです 。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」     一コリント6:2

あなたはすばらしい時はいつと言われますか。過去を追憶して「あの 日あの時だった」と、懐かしく振り返ったり、またこれからの未来に 夢を託すと思われるかもしれません。確かに過去を楽しかった経験と してとらえ直す事も、未来を明るく描く事もすばらしいです。 しかし、私達にとって最もすばらしい時とは「今」ではないかと思う のです。パウロは「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と記しまし た。今日一日を自分の人生最高の日、頂点の一日としてとらえどんな 事も感謝して受け入れる人は人生における真の勝者と信じます。 ステファノは無実の罪によって処刑されるという人生最悪の時に静か に天を仰ぎました。「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神 の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て……人々が石を投げ つけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたし の霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて『主よ、 この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノ はこう言って、眠りについた」(使徒言行録7:55〜60)と書かれてい ます。彼は自らの悲劇的死を安らかな眠りと信じていました。   人生において勝利を得る秘訣はここにありま。“今”を神の恵みとし て感謝するのです。たとえ受け入れにくい現実であっても「今ここに 神の愛がある」として信じ続ける人となる事を願います。



2009年10月11日

「実り」

牧師 犬塚 契

「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切 、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」 ガラテヤ書 5:22

「実りの秋」だけでなく私たちも「実」を結んでいる。毎日の中で、 それぞれの場面、場面で…。いつも「笑顔」という実を結んでいる 人もいる。「喜び」という実、「感謝」という実を結ぶ人もいる。 17歳の時に不慮の事故で首から下の自由を失ったジョニ―・エレ クソン・タダさんは、その事故の日を「人生最高の日」と語り、日 本の詩画作家、星野富弘さんも一人では何もできない生活の中で、 「感謝」の実を結んでいる。パウロは獄中で、シラスとドュエット で「賛美」の実を結んだし、ナチスの強制収容所に入れられたクリ スチャン達は、明日が「死刑執行」の日だとしても、「喜び」の実 を結び続けた。知的障害者と共に暮らすコミュニティ、「ラルシュ」 の創始者ジャン・バニエさんが、その友人ハディールさんをこう紹 介している。「ハディールはとても美しい女性です。彼女に会った ら誰もが愛さないではいられないでしょう。15歳になりますが、全 身が麻痺していて、生活上の大切なことをすべて他人に頼らなけれ ばなりません。トイレも食事もお風呂も、すべて人任せです。しか し、信じられないほど美しい顔をしています」。▲感情による「実」 なら一時的だろうと思う。その「実」は気分による。確かな「よき 実」の結実に必要なのは、「環境」「状況」ではなく、つながって いるところである。聖書は「神が愛である」と語る。神が何にも増 して、私を愛しているというメッセージを受け取り続けていくこと 、魂のうちにしみ込ませていくことがよき実の源であるのであると する。そんな歩みの中を生きたいとこの「実り秋」に思う。



2009年10月18日

待望して生きる

牧師 犬塚 修

わたしがその先祖に誓った乳と蜜の流れる土地に彼を導き入れる とき、彼は食べて満ち足り、肥え太り、他の神々に向かい、これ に仕え、わたしを侮ってわたしの契約を破るであろう。    申命記31:20

神は40年間、愛する民を導き守り、ついに約束の地に入る寸前に いたりました。けれども、神は彼らの信仰の状態を良くご存じで した。民は、カナンの地に入ると、そこに安置されている偶像神 に心惹かれ、まことの信仰の道から外れてしまう危険性があるこ とを危惧されたのです。残念なことですが、事実、民の多くはそ の失敗を犯してしまいました。荒野を導かれた神とは違い、カナ ンの神々はご利益的性質を持ち、大変魅力的に思われたのです。 それらは人間の都合に合わせてくれるという分かり易い神々であ り、人間の幸福追求に役立つと思えたのです。カナンの人々はこ の世における幸福実現、自己満足、野心の達成、支配欲、王座に 君臨しようとする生き方に価値を置いていました。ところが実際 は、偶像神は自分たちの幼児を火に焼けという恐ろしい命令を下 すという独裁者・凶悪な君主と変質していきました。民は洗脳さ れていったのです。一方、聖書の神は、私達に永遠の命の約束、 謙遜さ、愛する道、人に仕える事の尊さ、赦しの中にこそ真の幸 福がある事を宣言されました。愛と希望と信仰が私達の命の源な のです。 まことの神は長時間をかけて、熟していく芳しい葡萄酒のように 、私達の信仰を育て上げようとされます。もし私たちは性急にな り、長く待てず、すぐに目に見える良い結果が欲しくなります。 しかし、すぐに結論を出してはなりません。忍耐強く事態を見守 り、祈りを捧げ、主に対して真摯な応答を続けていく事です。 必要な時が満ちた時、すばらしい主のみ業が現されます。自分を 正しいとしないで、へりくだって自分の弱さや過ちを省み、深く 悔い改めたいものです。しもべの心を持って愛する主に従い続け ましょう。



2009年10月25日

「憐れみの必要な者」

牧師 犬塚 契

驕る者は低くされ 心の低い人は誉れを受けるようになる。…人 は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。支配 者の御機嫌をうかがう者は多い。しかし、人を裁くのは主である 。箴言29:22〜26

心地よく吹く秋の風と安く買った梨が美味しかったせいか、前日 まで久しく好調に思われた心は、挨拶した人に一瞥の後、思い切 り無視されたという仕打ちによって小さく縮んでしまった。2時間 くらいは復讐策を考え、半日は怒りを溜めたが、そんなことにこ だわる自分の職業を思ってさらに小さくなった。▲「強い人・弱 い人」というトルニエの著作の冒頭にこんな詩が引用されていた 。「もしわたしの隣人が、わたしより強いならば、わたしはその 人を怖れる。もしその人が、わたしより弱ければ、わたしはその 人を軽蔑する。もしわたしとその人とが同じであれば、わたしは 詭計に訴える。わたしがどのような動機をもっていたら、その人 に服従することができ、わたしにどのような理由があったら、そ の人を愛することができるだろうか。」 ジャン・ド・ルージュ モン▲ポール・トルニエは「偽善者の定義は何か」と聞かれて、 「それは私です」と答えたという。私たちの主は、もっとも蔑ま れた十字架への歩みを続けられた。救い主の歩みが、世がうらや むような成功者のそれではなく、十字架へ向かう道だったことこ そが良い知らせであるという逆説を神様は選ばれた。ときどき本 当にそれが福音となる。主の足跡をたどたどしく辿らせていただ いているような幸い。


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