巻頭言
2008年9月


2008年9月7日

 「わかっている」

牧師 犬塚 契

キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声 をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に 、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入 れられました。…この大祭司は、わたしたちの弱さに同情で きない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点にお いて、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 ヘブライ人への手紙4章

イエスキリストのうわさが広まる中、人々は熱狂的に「しる し」を求めて集まった。彼らが見たいのは、魔術師、マジシ ャン…。メシアの証拠を見せてみろ、そうしたら信じる。し かし、イエスキリストは答える。「人の子も、今の時代のし るしとなる」。イエスキリストがこの地上で歩まれる。神が 人となって、この地を歩まれたという事実こそがしるしであ るという。 「同情」は英語では、シンパシー(sympathy)。これはギリ シャ語の「シンパソス」(共に感じる、ともに苦しむ)から 由来する。 神は「あなたを知っているよ。その苦しみわかるよ。」とい う権利をイエスキリストが人となって地上に降りた事によっ て得た。かつてモーセやダビデ、エレミヤ…大勢の人々は、 全能の神と格闘し、天に向かって訴えた。「主よ、あなたは 地上がどんなところか分かっておられない」。 そんな叫びに神様は答えられた。「見よ、おとめが身ごもっ て男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この 名は、「神は我々と共におられる」という意味である。



2008年9月14日

「敬老の日を覚えて」

牧師 犬塚 修

しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られ ている。そのときは昼もなければ、夜もなっても夕べになっ ても光がある。ゼカリヤ14:7

今朝は敬老の日を覚えての礼拝です。聖書には数多くの年老 いた聖徒が登場します。 しかも重要な場面で、決定的な影響 を与える存在としての出現です。ノアが主の命令に従って、 箱舟を建造し始めたのは、信じられないほどの年齢達してい た時でした。そして、ついに人類の救いとなるべき巨大な船 は完成したのです。アブラハムは、75歳にして、主の言葉に 従いました。「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロ トも共に行った。…アブラムは、ハランを出発したとき七十 五歳であった。アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロ トも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五 歳であった」(創世記12:1〜4)その結果、アブラハムは祝福 の源となりました。モ−セは80歳で、民のリ−ダ−となりま した。彼は幾多の試練を乗り越えて、すばらしい忍耐力を発 揮しました。神は人生の夕べにある人物をご自身の計画に組 み入れ、偉大なみ業を成し遂げられます。お年を召した人の 美点はいろいろあげられます。(1)経験が豊か (2) 信仰 の成熟 (3) おのれの限界と弱さの受容 (4)永遠の命の 憧憬 (5)神のみを見上げての生き方等があげられるでしょ う。しかし、良く考えると、それはすべての人に求められる べき美点です。それを身をもって、証しされているのがその 方々です。 「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に 注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を 見、老人は夢を見る」(使徒言行録2:17) あと100年後の夢 を見て、その時代に向かって、静かにまた、黙々と熱い信仰 の糸をつむぎ続ける生き方に深い感動を覚えるものでありま す。 。



2008年9月21日

「記念として」

牧師 犬塚 契

携帯電話もパソコンも・・・。優秀でいろんな機能が増えた。 携帯電話のアドレス帳は、いつの間にか1000件分も登録できる ようになっていたし、スケジュール管理もできる・・・が、振 り返るとそんなに友人はいないし、歯医者の予定しか入ってい ない。▲コンピューターは忘れないが、人は必ず忘れる!昔か ら人はそれを知っていて、大切なことは記念として様々な形で 後に残そうとしてきた。そして、後の人々はそれらを前にして 思い起こそうとする。▲イエスキリストが「記念として」と言 われたことが2つだけある。
@イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使 徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与え られるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行い なさい。」(ルカ22章19節)。いつもの食事の中で、イエス様 はパンとぶどう酒を、自分の肉と血にたとえ、記念として覚え るようにと言われた。それは初代教会の礼拝の中心となり、人 々は集ってパンを裂いた。私たちも月の初めの日曜日、「主の 晩餐式」を行う。
A・・・一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入っ た石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注 ぎかけた。・・・「はっきり言っておく。世界中どこでも、福 音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語 り伝えられるだろう。」(マルコ14章3〜9節)。部屋中に香り は充満し、外にまで漏れた。心いっぱいの女性の行為は、場に いた人々に物議を醸した。「なぜこんなに香油を無駄遣いした のか」。しかし、イエス様は、それは記念として語り伝えられ ると言われた。 
@神の側からの一方的な恵みとA人間の側からの心いっぱい の献身は、いつの間にか忘れられることではなく、記念として 語られることなのだと思う。 ▲一ヶ月ほど前から週報に礼拝の出席者と献げものの名目が記 されるようになった。遠くの地から教会を覚えて献げられ、喜 びの中、苦難の中、感謝の中で献げられる献身の証しを見る。 ナルドの香油が、漂った香りの話ではなく献身であったように 、右記の報告も私たちの証しであり、記念だと思う。



2008年9月28日

「満たされた人生」

牧師 犬塚 修

わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスに よって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます 。 フィリピ4:19

最近、凶悪な犯罪が頻発しています。なぜ人は恐ろしい犯罪や過 ちに陥ってしまうのでしょうか。その原因の一つは、自分の心が 満たされない思いに縛られていることではないかと思うのです。 何度も同じような失敗を犯す中で、次第に生きる自信を失ったり 、人生に嫌気を感じたり、自分への不満や不足感を覚え、ついに は世を恨み、自暴自棄となって、人を傷つけても構わない、むし ろ恨みをはらしたいという悪の考えに支配されてしまうのではな いでしょうか。もし、私たちが自分がどんなに惨めな人間と思え ても、そんな自分を受け入れ、満足し、感謝できたならば、自己 破壊の道に進むことはないと信じます。一回限りの人生は神から 与えられた豊かな賜物です。確かに、厳しい世の中で、感謝の満 ちた考え方を持ち続ける事は難しいかもしれません。逆に屈辱感 、悔しさ、空しさなどが、激しく私達に襲いかかり、厭世的な気 分がなることもあるでしょう。また人と自分を比べて 、悪い評 価を下すこともあるでしょう。 聖書には、人間は神に創造された無限の価値がある稀有な存在と 記されています。この創造主は「あなたがたに必要なものをすべ て満たしてくださいます」。したがって、私たちに求められてい るものは神を絶対的に信頼して生きる謙遜さです。「主の前にへ りくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてください ます」(ヤコブ4:10)とあります。また、自分に対して満足がい かず、自信を失っている時でも「体の中でほかよりも弱く見える 部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよ りも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしよう とし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします」(Tコ リント12:23〜24)という神のすばらしい守りと祝福を書かれて います。神の豊かな栄光の富に満たされて生きたいものです。





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