巻頭言 2008年9月 |
「わかっている」
牧師 犬塚 契
キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声 をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に 、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入 れられました。…この大祭司は、わたしたちの弱さに同情で きない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点にお いて、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 ヘブライ人への手紙4章 |
イエスキリストのうわさが広まる中、人々は熱狂的に「しる
し」を求めて集まった。彼らが見たいのは、魔術師、マジシ
ャン…。メシアの証拠を見せてみろ、そうしたら信じる。し
かし、イエスキリストは答える。「人の子も、今の時代のし
るしとなる」。イエスキリストがこの地上で歩まれる。神が
人となって、この地を歩まれたという事実こそがしるしであ
るという。
「同情」は英語では、シンパシー(sympathy)。これはギリ
シャ語の「シンパソス」(共に感じる、ともに苦しむ)から
由来する。
神は「あなたを知っているよ。その苦しみわかるよ。」とい
う権利をイエスキリストが人となって地上に降りた事によっ
て得た。かつてモーセやダビデ、エレミヤ…大勢の人々は、
全能の神と格闘し、天に向かって訴えた。「主よ、あなたは
地上がどんなところか分かっておられない」。
そんな叫びに神様は答えられた。「見よ、おとめが身ごもっ
て男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この
名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
「敬老の日を覚えて」
牧師 犬塚 修
しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られ ている。そのときは昼もなければ、夜もなっても夕べになっ ても光がある。ゼカリヤ14:7 |
今朝は敬老の日を覚えての礼拝です。聖書には数多くの年老
いた聖徒が登場します。 しかも重要な場面で、決定的な影響
を与える存在としての出現です。ノアが主の命令に従って、
箱舟を建造し始めたのは、信じられないほどの年齢達してい
た時でした。そして、ついに人類の救いとなるべき巨大な船
は完成したのです。アブラハムは、75歳にして、主の言葉に
従いました。「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロ
トも共に行った。…アブラムは、ハランを出発したとき七十
五歳であった。アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロ
トも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五
歳であった」(創世記12:1〜4)その結果、アブラハムは祝福
の源となりました。モ−セは80歳で、民のリ−ダ−となりま
した。彼は幾多の試練を乗り越えて、すばらしい忍耐力を発
揮しました。神は人生の夕べにある人物をご自身の計画に組
み入れ、偉大なみ業を成し遂げられます。お年を召した人の
美点はいろいろあげられます。(1)経験が豊か (2) 信仰
の成熟 (3) おのれの限界と弱さの受容 (4)永遠の命の
憧憬 (5)神のみを見上げての生き方等があげられるでしょ
う。しかし、良く考えると、それはすべての人に求められる
べき美点です。それを身をもって、証しされているのがその
方々です。
「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に
注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を
見、老人は夢を見る」(使徒言行録2:17) あと100年後の夢
を見て、その時代に向かって、静かにまた、黙々と熱い信仰
の糸をつむぎ続ける生き方に深い感動を覚えるものでありま
す。
。
「記念として」
牧師 犬塚 契
携帯電話もパソコンも・・・。優秀でいろんな機能が増えた。
携帯電話のアドレス帳は、いつの間にか1000件分も登録できる
ようになっていたし、スケジュール管理もできる・・・が、振
り返るとそんなに友人はいないし、歯医者の予定しか入ってい
ない。▲コンピューターは忘れないが、人は必ず忘れる!昔か
ら人はそれを知っていて、大切なことは記念として様々な形で
後に残そうとしてきた。そして、後の人々はそれらを前にして
思い起こそうとする。▲イエスキリストが「記念として」と言
われたことが2つだけある。
@イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使
徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与え
られるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行い
なさい。」(ルカ22章19節)。いつもの食事の中で、イエス様
はパンとぶどう酒を、自分の肉と血にたとえ、記念として覚え
るようにと言われた。それは初代教会の礼拝の中心となり、人
々は集ってパンを裂いた。私たちも月の初めの日曜日、「主の
晩餐式」を行う。
A・・・一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入っ
た石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注
ぎかけた。・・・「はっきり言っておく。世界中どこでも、福
音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語
り伝えられるだろう。」(マルコ14章3〜9節)。部屋中に香り
は充満し、外にまで漏れた。心いっぱいの女性の行為は、場に
いた人々に物議を醸した。「なぜこんなに香油を無駄遣いした
のか」。しかし、イエス様は、それは記念として語り伝えられ
ると言われた。
@神の側からの一方的な恵みとA人間の側からの心いっぱい
の献身は、いつの間にか忘れられることではなく、記念として
語られることなのだと思う。
▲一ヶ月ほど前から週報に礼拝の出席者と献げものの名目が記
されるようになった。遠くの地から教会を覚えて献げられ、喜
びの中、苦難の中、感謝の中で献げられる献身の証しを見る。
ナルドの香油が、漂った香りの話ではなく献身であったように
、右記の報告も私たちの証しであり、記念だと思う。
「満たされた人生」
牧師 犬塚 修
わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスに よって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます 。 フィリピ4:19 |
最近、凶悪な犯罪が頻発しています。なぜ人は恐ろしい犯罪や過
ちに陥ってしまうのでしょうか。その原因の一つは、自分の心が
満たされない思いに縛られていることではないかと思うのです。
何度も同じような失敗を犯す中で、次第に生きる自信を失ったり
、人生に嫌気を感じたり、自分への不満や不足感を覚え、ついに
は世を恨み、自暴自棄となって、人を傷つけても構わない、むし
ろ恨みをはらしたいという悪の考えに支配されてしまうのではな
いでしょうか。もし、私たちが自分がどんなに惨めな人間と思え
ても、そんな自分を受け入れ、満足し、感謝できたならば、自己
破壊の道に進むことはないと信じます。一回限りの人生は神から
与えられた豊かな賜物です。確かに、厳しい世の中で、感謝の満
ちた考え方を持ち続ける事は難しいかもしれません。逆に屈辱感
、悔しさ、空しさなどが、激しく私達に襲いかかり、厭世的な気
分がなることもあるでしょう。また人と自分を比べて 、悪い評
価を下すこともあるでしょう。
聖書には、人間は神に創造された無限の価値がある稀有な存在と
記されています。この創造主は「あなたがたに必要なものをすべ
て満たしてくださいます」。したがって、私たちに求められてい
るものは神を絶対的に信頼して生きる謙遜さです。「主の前にへ
りくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてください
ます」(ヤコブ4:10)とあります。また、自分に対して満足がい
かず、自信を失っている時でも「体の中でほかよりも弱く見える
部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよ
りも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしよう
とし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします」(Tコ
リント12:23〜24)という神のすばらしい守りと祝福を書かれて
います。神の豊かな栄光の富に満たされて生きたいものです。