巻頭言
2004年9月


2004年9月5日

「教育と和解」月間を迎えて

牧師 犬塚 修

兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めて いる。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を 得ようと努めているのである。 フィリピ3:13〜14

アテネ・オリンピックは感動と興奮の内に終わりました。日本選手のめざまし い大活躍に胸躍ったことでした。選手たちがメダルを目指して、ありったけの 力を振り絞って戦う姿に、生きるべき模範を見た思いがいたしました。人生で 、一番輝く瞬間というのは、目標を高く掲げ、全力を出し尽くすところにある とつくづくと思うものです。最後の最後まで、決して勝負をあきらめない不屈 の精神、必ずできると信じ、後ろを振り返らない強気の姿勢、手を抜かず、辛 い練習に耐えぬく忍耐力、「練習は人を裏切らない」と信じてひたむきに取り 組む強い精神力、結果はすべてゆだねる潔さ、金メダルよりも大切なものは、 努力を怠らない誠実な生き方、失意から強く立ち上がる復元力などを教えられ たことでした。また、自分は神の賞与を得ようとして、彼らのように死に物狂 いで生きてきたかと悔い改めさせらました。さて、翻って考えますと、私たち が取り組むべき、最も重要な課題は「和解」に関してであると思います。信仰 の世界においては神との和解が、大変に大事です。「神はキリストにおいて世 をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わた したちに和解の福音をゆだねられたのである」(第二コリント5:19)とありま す。主イエス様を受け入れるならば、神との和解が成就します。第二は他者と の和解です。今、心にわだかまりのある人との関係が回復する事です。憎い相 手を赦すためには、自分の努力によらず、イエス様の十字架を信じる事です。 第三は、自分との関係です。自分を嫌わず、素顔の自分を受け入れ、愛する事 です。私はみ主の前に、高価で尊いと確信できた人は、自分と和解した幸いな 人です。



2004年9月12日

苦しみもまた恵み

牧師 犬塚 修

卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶ ようになりました。あなたの口から出る律法はわたしにとって幾千の金銀にま さる恵みです。 詩篇119:71〜72

人生において、苦しい出来事、いやな目に会うことは良い事だと詩篇の著者は 大胆に書きつづっています。それによって、主のすばらしい掟を学ぶ事ができ るからというのです。私たちは数多くの書を読み、そこからいろいろな教訓を 会得します。しかし、日常生活の中で、苦しみ、悩み、戦う事で、さらに多く の恵みを得るのです。妙なる音色をかなでるあるバイオリンの美しい響きは、 聞く人を魅了したのですが、その原木は人里はなれた山奥で、寒暖の差が非常 に激しく、切り出すのに大変な苦労をした木から造られたものだったそうです 。私たちの体験する幾多の苦しみで、無駄なものは何一つありません。そのす べては、私たちの心を鍛え上げるものです。「そればかりでなく、苦難をも誇 りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、 練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません」 (ロマ3:3〜5)とあります。ゆえに私たちは、苦しみが迫った時でも恐れる事 なく、冷静に感謝をもって受け止めたいものです。いろいろな苦労は心の喜び をもたらします。他方、苦難への恐れは、私たちを否定的消極的な生き方に引 き下げます。苦い思いをかなぐり捨てましょう。ヨセフは、かつて若い日に、 自分を裏切った兄たちに持っていた積年の恨みを捨てました。そして、仕返し を恐れて戦々恐々としていた兄たちに「あなたがたはわたしに悪をたくらみま したが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにして くださったのです」(創世記50:20)と赦しに満ちて優しく語っています。人間 の罪や悪にもかかわらず、主は驚くべき愛と真実をもって、私たちの人生を力 強いものと変えられるのです。



2004年9月19日

夢と信仰

牧師 犬塚 修

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 ヘブライ11:1

今朝は「敬老の日」を覚えての礼拝です。『神は言われる。終わりの時に、わ たしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者 は幻を見、老人は夢を見る』(使徒言行録2:17)とありますように、円熟した兄 姉は夢を見ることにおいて、良い使命を果たされています。80歳をはるかに 過ぎていたモ−セは夢みる預言者であり、姉のミリアムも主のために大きな夢 と希望に生きた女性でした。このように、夢は私たちの人生になくてはならぬ 霊的な財宝です。ミケランジェロは巨大な大理石の石を見て「見よ、ここには 天使が眠っている!」と叫びました。他の人から見れば、単なる無用な石に過 ぎなかったのにもかかわらず、彼には、その石に美しい天使が動く夢が見えた のです。その後、一心不乱に彫刻に励み、驚くべき作品を作り上げました。私 たちに求められているものは、聖霊の導きによって夢を見ることです。怠惰や あきらめという後ろ向きの思いは、私たちを恐れと心配のとりこにします。夢 が実現すると確信し、決して後ろを振り返ってはなりません。「また失敗する のではないか」とかいう弱気に屈してはなりません。夢を実現される主が共に おられるのですから。必ず勝利すると信じることです。失敗することを考える と、私たちは弱くなります。たとえ万一、失敗することがあっても、すぐに立 ち上がり、再チャレンジすることです。弱気や否定的な思いを捨て、目標に向 かって、一歩一歩、前進しましょう。大きな夢に向かって生きていると、心は 晴れ晴れとなり、いつまでも心の若さを失うことはありません。急激な老いと いうものは、夢をあきらめた時、訪れるものです。見えない事実を今、現実と して見えるかのようにして日々を大事にしましょう。信仰の先達者は夢を見て 生きることの幸いを教えて下さっているかけがえのない兄姉です。心から感謝 しましょう。



2004年9月26日

「燃える心」

牧師 犬塚 修

兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。熱心で、う むことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈 りなさい。                            ロマ12-10〜12

9/23の「連合の集い」は神奈川連合に属する20の教会・伝道所から280名 の兄姉が集まり、当教会からも24名のメンバ−で参加する事ができました。 講師の佐藤彰先生のメッセ−ジ題は「主を宣べ伝えよう〜教会って素晴らしい 〜」でした。まことに心にしみこむ宣教で、聴く者の魂に熱いものが燃えてく る思いがいたしました。主の大きな祝福を得るためには、人知れず流す涙と労 苦、そして尊い犠牲が必要であると教えられた事でした。「もし、人の命を得 たいならば、自分の命もささげる決意を持ち、行動に移す事である。そうすれ ば人を救いに導ける」というのです。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、 それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶよう になる」(ヨハネ12:24)と主は言われました。私たちの教会のモット−は「献 身の民となろう」ですが、これは豊かな祝福の秘訣であると改めて確信いたし ました。今回のメッセ−ジで私自身が教えられた事は次の通りです。@ 様々 な個性をもつ人たちが集う教会-----自分の個性を用いて、教会のためにみずみ ずしく、奉仕し、伝道する事、またいつも笑いがあり、誰も裁かず、裁かれず 、自分のペ−スで生きられる教会はすばらしい。A 教会は過去の霊的遺産の 上に建てられている。---もし、今、私たちが祝福を受けているならば、それは 、これまで多くの兄姉の献身と犠牲の種が実った結果である。過去の歩みを、 神の大いなる恵みの歴史として感謝できる教会はすばらしい。私たちに必要な 事は、すべてを神の栄光に帰する霊的な感覚である。B将来に大きな夢と希望 を持つ教会-----私たちは、飛行機が長い滑走路を走り、大空に向かい飛び立と うとする教会はすばらしい。夢と信仰と霊に燃えて生きましょう。


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