巻頭言
2020年8月


2020年8月2日

「たゆまず良いことを」

犬塚 契牧師

 終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。…どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。 <テサロニケの信徒への手紙U3章1-5節>

「終わりに」と書き始めた手紙の最後は「祈ってください」と始まります。困窮者支援を続ける牧師が、人は「助けて」と言うのが難しいと書いていました。きっとそうなのだと思います。もしそのような目線でよむことが許されるならば、パウロの「祈って下さい」との言葉も、手紙最後の取ってつけた決まり文句でなく心底願った事柄なのでしょう。パウロは、本当に祈ってほしかったしそれが必要であったのです。直面している世界は「すべての人に信仰があるわけではない」ところです。依然として厳しく洋々とは開かれないような前線です。「すべてが信仰者ならばいいのに」という淡く浅い期待をかける場面でもなく、「それでも生きなければならない」というような世界です。▲神学部で教える先生は牧師と兼任の先生も数人おられました。授業の中でこぼれる言葉は教科書には書けない知恵に満ちていました。ある先生曰く、「人は信用してはならない。しかし人は愛しなさい」。おそらく力を込められたのは前半ではなく後半部分だったでしょう。テサロニケの教会への手紙の最後に、パウロは自分の直面している祈らざるを得ない世界をあきらかにします。そしてまた。この若い教会に最大の期待と励ましを送るのです。「神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように」。神の愛をもって愛する人、キリストの忍耐をもって忍耐する人へと召されているのだと…。なんの遠慮もなく、渾身に書き綴った手紙は薄めも割り増しもせず、それぞれの場に立つ信仰者たちをそのままに支えたのだと思います。



2020年8月9日

「はじまり」

犬塚 契牧師

 しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、…粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。        <出エジプト記1章1−14節>

 伝統的に読めば紀元前13世紀におきた旧約聖書最大の事件、イスラエル人たちのエジプト脱出。施政者が変わったエジプトで、苦しめられることになったイスラエルに指導者モーセが登場し、荒野での40年の旅を経て、約束の地カナンに到着する物語です。そして、はじまりの1章…。「いずれも過酷を極めた」と3400年前の痛みが、今にも響くのを不思議に感じています。教会の近くの古墳は1600年前のものですが、誰のものか分かっていません。600年前に黒死病で苦しんだ中国、中央アジア、ビザンチン帝国、黒海沿岸地方の記録は残っておらず、ヨーロッバに至ってようやくその苦しみが記憶されたのです。そう考えると、「過酷」とは往々にして、歴史や記憶から遠ざかるものに思えます。薄まってなくなり、弱まって消え、細くなり沈黙していきます。それは人生において幸いでもありましょう。しかし、出エジプト記1章には「過酷を極めた」と記憶するのです。これは、かつての「過酷」の大合唱が、余韻を今にまで響かせているでしょうか。…少し離れて、世界を見るときにこの過酷の旋律がいつだってまた弾かれ、鳴らされているのだと思います。内戦による国の荒廃、難民の不安と恐怖、生きていけない現実、虐げられる者の声なき声…。「いずれも過酷を極め」ています。▲しかし、不思議があります。「虐待されればされるほど、彼らは増え広がったので」ともあるのです。産むものも、生きるのをやめなかったのだと。そして、創世記1章を思い起こしています。「産めよ、増えよ、地に満ちて…」(22節)。生きながら二つの旋律を聞いています。「それでも生きなくっちゃ」(クレド・サラヤジ)という過酷の調べとこの地は、「祝福」の一声から始まったという二つです。出エジプトのはじまりは、私たちの生きるはじまりに聞こえます。 



2020年8月16日

「ぎりぎり」

犬塚 契牧師

 しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると…      <出エジプト記2章より>

 イスラエルの民が語り伝えた大事件である「出エジプト」を読み始めました。モーセ誕生、神の名、荒野での40年、マナによる養い、与えられた十戒、仮庵の祭り、過ぎ越しの祭り…その後のイスラエル文化の根幹が形作られていきます。1章後半から2章前半のモーセの誕生を読むと「男の子はワニの餌に。女の子は生かせ」との命令に抗うように活躍した女性たちの姿に小気味よい思いがします。「生かしておいても何もできない」とされた女性たちが実に勇気と機転と愛をもって危機を乗り越え、モーセ誕生に至るのか、その物語は見事です。見事ですが、「ぎりぎり」です。CSルイスは、イエスキリスト誕生を思ってこう書きました。「すべてが狭まっていき、とうとう最後には小さな一点、やりの先端くらいに小さいもの―祈りを捧げているユダヤ人の少女―になる」。クリスマスもまた「ぎりぎり」です。そんな言葉に引き出されて、いくつもの事件、事故が浮かんできます。例えば飛行機事故―直前の変更でギリギリ守られたいのちと届かなかった祈り。間一髪でよけられた銃弾と厠に飛んできた流れ弾での死。時限爆弾から奇跡的に守られる独裁者と敗戦直前での絞首刑執行。もやによって守られた小倉と雲の切れ目から落とされた長崎…。「やりの先端くらいに小さいもの」の「ぎりぎり」に震えています。私たちが生きることの中に、いつもこのリスクである「ぎりぎり」が含まれています。▲ぎりぎりに誕生したモーセは、のちにぎりぎり約束の地に入れませんでした。ギリギリ誕生したイエスキリストは、ぎりぎり天からの軍団は派遣されず十字架で死にました。牧師として、人としての問いは、「このぎりぎりのあちら側とこちら側において、神様はどのように働かれるか」です。出エジプト記のテーマではないかも知れませんが、その問いが頭から離れないのです。▲「神は愛することにおいてのみ全能なのです」とかつて読みました。心には残りましたが、よく理解もできませんでした。しかし、今こう思います。人を人形とせず、操作もしない神が決められていることは、ただ一つで、「それでも愛そうとする」そのことだけなのだと。 



2020年8月23日

「わたしはあるという者」

犬塚 修牧師

「神はモーセに言われた。『わたしはある、わたしはある者』と言われた」 <出エジプト記3章1―14節>

 神は40年間、ミディアンの地で羊飼いとして生活していたモーセに「燃える柴」の中から顕現された。その目的は、エジプトにおいて、同胞のイスラエル人が虐待され、苦しみが絶頂に達していたからである。モーセはその召命におののいた。なぜなら、すでに80歳であり、壮年の時の体力、気力失われていたので、エジプト脱出の指導者となるのは、どう考えても無理と思ったのである。しかし、それは人間的な見方である。神は高齢も、義侠心からエジプト人を殺めてしまった事も、そのことで逃亡した事なども問題にされなかった。神は「魂」を見られた。彼の魂は「長い苦労によって悔いし砕けた心」と変えられていた。▲履物を脱げ―当時は、奴隷は履物を履く事はできなかった。神がモーセに求められたものは、ご自身に対する徹底的な従順さであった。神の命令に身命を賭けて、忠実に従う生き方を期待された。その意味で、モーセは適任であった。即ち、モーセは自分の欠乏、惨めさ、罪、弱さを知り、無に等しい者と熟知していたからこそ、適任者とされたのである。▲私はあなたと共にいる―モーセはその使命の大きさに戸惑い、従う決断ができなかった。そこで神は「わたしはあなたと共にいる」と励まされた。この「共にいる」は相手と同じ目線で語られた言葉である。神はモーセと同じ立場にご自身を置いて下さった。モーセの心の傷、痛み、弱さ、不安、恐れをわが事として受け止められた。病人の苦しみが一番分かるのは病人である。神はモーセと一つ心になられた。▲「私はある」という者―ついにモーセは、エジプト行きを決断したが、心配はなくならなかった。そして「あなたの名は何ですか」と尋ねた。相手の名を知るとは、相手の正体を知る事を意味していた。また、自分の名を明かす事は、全き信頼感がないとできなかった。神はモーセに自分の正体を示す決意をされた。「わたしはある」とは「有る」である。神の意志がそこに「有る」という意味である。神の意志とはモーセと民に対する無上の愛である。「わたしは必ず、救い出す」という強い決意である。また再創造するという決断である。その愛は、過去、現在、未来を貫いている。両手に抱いて、あなたを持ち運ぶという創造主の永遠の愛である。



2020年8月30日

「主を知る」

犬塚 契牧師

 しかし、モーセは主に言った。「御覧のとおり、わたしは唇に割礼のない者です。どうしてファラオがわたしの言うことを聞き入れましょうか。」…しかし、わたしはファラオの心をかたくなにするので、・・・ファラオはあなたたちの言うことを聞かない。…イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」   <出エジプト記6章28節−7章7節>

 3章で神の名を知らされた経験をしてもなお、モーセは自信に乏しく、その重い腰はあがりませんでした。殺人者、逃亡者、敗北者であり、すでに高齢でもありました。…過去を振り返れば、脛の傷が染みます。今なお生きているのが不思議なくらいです。「唇に割礼のない者」と自己認識があります。割礼は男性の性器の包皮を切り取る儀式ですが、「神の働きに敏感になること」を意味していました。モーセ自身は、神の働きへの感度が低いと理解していたようです。恵みの拾い方、出来事の向き合い方、信頼して歩む力…圧倒的に、足りないのです。「わたしは唇に割礼のない者です」とは、モーセだけの吐露に聞こえません。今日も響く信仰者の嘆きです。しかし、7章、主はモーセを神の代わりとして立て、アロンを預言者として立てようとされます。余人をもって代え難しと、とりあえず理解しておきます。ただ直面していくのは、モーセの言葉が届かないファラオのかたくなさです。主に立たされ、主に閉ざされる前途は、少し理解に苦しみます。▲エジプトはこの後、10の災いを経験することになります。ナイル川が血に染まることから始まって、カエル、ぶよ、アブ…。エジプトが神の使いや化身、象徴としていたようなものが一つずつ取り去られていきます。やがて太陽が暗くなり、死が訪れます。頼りにしていた十の神々が次第に崩れていくとはどんな経験だったのだろうと想像しています。日本においては大晦日に遠くから108の煩悩を打つ鐘の音が聞こえてきます。10を遥かに超える煩悩まみれの人間が、痛みとともにそれらがこそぎ取られ、自我を空しくせざるを得ない状況とはどんなものかと思います。それは、「割礼のない者」「敏感」なきモーセの道筋でもありました。また荒野を行くイスラエルの道筋でもあり、エジプトの道筋であり、現代を生きる私自身の道筋であります。そして、その中の幸いとは、「わたしが主であることを知るようになる」という招きの道筋ということです。そのようにして、主であることを知らされてきたのです。共にあろうとする神の誠実に、頭を垂れたいと思います。




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