巻頭言
2007年8月


2007年8月12日

「正直に見つめる努力」

牧師 犬塚 契

キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つま り、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったよう に、あなたがたも愛によって歩みなさい。エフェソ 5章2節

ミッドライフクライシス(中年の危機)という言葉を初めて目にし たのは、大学で心理学の教科書を目にした時だった。肉体的な衰え を感じ始め、自分の残した足跡をふと振り返り、自分の残り時間も 計算すると迷いと不安がこみ上げる。掲げた目標に達していないよ うなストレスもある。…「中年の危機」、そういうものなのかぁと 思った。▲中学生でも高校生でも何となく振り返り、これでいいの かと問いなおすことがある。青年もそう。さっきまで元気に思えた その人がふと寂しげな顔を見せて遠くを見つめ始めたら、恐らくは 自分の足跡を振り返っているのだと思う。それぞれ危機がある。好 きな本を読みなおした。▲「…私は、明日のこと、来週のこと、来 年のこと、あるいはそれが次世紀のことであろうと、思い煩うべき ではない、と考えるようになりました。今この時点で、自分が考え 、語り、なしていることを正直に見つめる努力さえすれば、私の内 におられ、将来に向けて私を導いておられる神の御霊の働きを知る ことができるはずです。」(ヘンリー・ナーウェン)物事を複雑化 しようとする心に反して、ナーウェンはシンプルに書いてくれた。 「…正直に見つめる努力さえすれば…」なんだか足りない部分を教 えてもらったように思った。思いつきのゴマカシ、不正直のキベン でなく、正直に頭を垂れ手を組みながら、神の導きを祈って送る毎 日が静かでダイナミックな歩みなのだと思わされた。



2007年8月19日

「青銅の城壁」

牧師 犬塚 修

この民に対して、わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。彼ら はあなたに戦いを挑むが勝つことはできない。わたしがあなたと共 にいて助け、あなたを救い出す、と主は言われる。エレミヤ15:20

孤独感の中で雄々しく人生を生き抜いた信仰の人エレミヤの歩みを 思いますと感動を覚えます。エレミヤを取り巻く状況は、厳しいも のがあり、まさに四面楚歌でした。彼自身も、幾度も挫折し、その たびに失望と落胆を繰り返し、また絶望しました。彼は今、真剣に 努力している事が空しいものに過ぎず、何の影響力もないと痛感し 、悲嘆に暮れました。相変わらず、民は神から心が離れたままであ り、事態も悪化していくばかりでした。しかし、エレミヤには絶対 的な自信…それは神から与えられた賜物…を持っていました。 その自信は彼が、生来持っていた能力の高さや意志の強さに基づく ものではなく、信仰から来る自覚でした。エレミヤは人間的な面で は、むしろ絶望しています。「呪われよ、わたしの生まれた日は。 母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない」(同20:14)と深く 嘆いていることからも明らかです。神が「あなたを堅い青銅の城壁 とする」という宣言がすべてでした。このみ言が彼の心の中に強く 駆け巡ったのです。たとえ人が自分を軽んじようとも、気になりま せんでした。エレミヤにとって、信頼すべきお方は神のみでしたか ら。彼は難攻不落の城壁として自分を新しくとらえ直したのです。 私たちが力強く生きるためには、自信が必要です。自分自身を弱々 しく無力な者と見てはなりません。私たちは主にあって勇者とされ たのです。日々、与えられた自信を強くして堂々と生きることです。



2007年8月26日

「恋愛」

牧師 犬塚 契

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わ たしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました 。ここに愛があります。  Tヨハネ 4章10節

「恋愛」というのは、どこまでも自由かつ自発的なものである。強 制でも、義務でも、仕事でもない。聖書で神と人との関係のイメー ジは、よく恋愛関係に例えられている。人間に恋をし、期待し、裏 切られる、そんな神の姿が聖書には出てくる。▲「どうしようもな く好きでたまらない。会っているときの天国のような心地よさと会 えない時の地獄のような寂しさ。私はどうしたら、気に入ってもら えるだろうか。どうしたら関心づけることができるだろうか。」そ んなことばかり考えている時期が恋愛である。しかし、クスリか何 かを調合し、言って欲しいことをこちらの都合で聞き出せるとした らどうだろう。鼻を押したら、ロボットのように「はい、あなたを 愛しています」と言ってくれる…。それで、私は愛されていると感 じるだろうか?▲神が人間に与えたものは、選び取る自由だった。 愛し、愛されることを望む神は、人間をロボットにできなかったし 、有無を言わせないようにもしなかった。神を愛さない人にも同様 に日は照り、雨は降る。神は「自由意志」という伝家の宝刀を人に 与えた。神を愛そうと背こうと自由にしたのだ。聖書にはそれによ って痛み、苦しむ神の姿がある。伝家の宝刀は、よく切れる。▲旧 約時代から様々な働きかけの中でプロポーズした神は、とうとう一 人子イエスキリストを遣わし、愛が極みまで達していることを示し た。





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