巻頭言
2005年8月


2005年8月7日

「奉仕と生活」月間を迎えて

牧師 犬塚 修

その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。ロマ書16:26

ロマ書を一ヶ月間かけて共に学ぶことができ感謝でした。学びの結果として、書かれた目的は「信仰による従順に導くため」である事が鮮明になりました。主に対して死に至るまで従順であったパウロは晩年において、次のように真情を吐露しています。「あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」(ニテモテ4::5〜7) 「去る」とは「死ぬ」事を意味していましたが、他に「立ち去る。解散する。解消する。」という意味があります。「立ち去る」とは「主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい」(ルカ12:36)における「帰る」です。すなわち、結婚式から帰ってきたことを意味します。結婚式ようの礼服を脱ぎ捨てた時の解放感が溢れています。またこの言葉は一日の労働を終えて疲れきった牛から、重いくびきを取り除く時にも用いられます。それと同じように主は疲れた私たちに対して、慰め、いたわり「休みなさい」と優しく語りかけて下さいます。A 岸壁につないでいた船の綱をゆるめ、新しい船出をする事です。ここには将来に向かう清新な気概がこめられています。このように「捨てる」という従順な生き方は、自分の生活の場で発揮されていくものであります。



2005年8月14日

イエスの命が現れるために

牧師 犬塚 契

わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。・・・侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。 Tコリント4章

北海道で牧師を10年した後、四国の教会に仕えたある牧師。岡山の田舎の出で、人柄はやさしく、みんなに愛される人だったらしい。しかし、どちらの教会でも一人もバプテスマを受ける人がいなかった。月に一度の牧師会でその牧師の説教のテープをみんなで聞いた。ただ淡々と語る説教だった。これなら聖書そのまま読んだほうがいいのではないかと批判も受けたらしい。あるクリスマス、やはり牧師会でその牧師の説教の順番だった。それは素晴らしい説教だった。…しかし、それはある説教集を一字一句変わらずに語ったものだった。それを指摘されても、やはり淡々としていた。そんな牧師だった。やがて、40代にして胃癌で倒れ、天に召されていった。
同じ教派の近所の牧師が、その牧師を紹介していた。話には続きがあった。その牧師は、広い教会の敷地の雑草を抜くのが一つの仕事だったという。病を患ってからは、ご婦人がされるようになった。病院でそのことを報告したのだろう、それを聞きながら、病床でつぶやいた。「あんまり雑草をとらないでほしい。何か自分が抜き取られるような気がする」。近所の牧師はこう書いている。「わたしはそれを後に奥さんから聞いて、胸をつかれました。彼は自分のことを自分の牧師としてのありかたをそのように受け取っていたのだなと思って、胸をつかれたのです。彼は決して優秀な伝道者ではなかったと思うのです。しかし神は彼を伝道者として召したのであります。…自分は雑草のような存在だと自覚している伝道者、そして事実そのようなものとして生涯を終えしてしまった伝道者もまた「愚かさ」という宣教の一翼を担ってきたのだということであります。」
あらゆる文化と人の交差点のような立地にコリント教会はあった。だから、教会にはあらゆる課題が積まれていた。パウロは冒頭の聖書のように書き、さらに薦める。「そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい」。そんな話があるだろうか。「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返し」…。そんな男らしくない、人間らしくない、対等じゃない、そんな生き方あるだろうか?
しかし、パウロにはあきらかにモデルがいた。先駆者、師匠、主人がいた、救い主がいた。…イエスキリスト。
不当な仕打ち、正当でない評価、理解され得ない痛み…それらに真に効く薬はない。これも特効薬ではないかもしれない、それでもイエスキリストの歩みを思い出させられる時、十字架を思う時、イエスの後ろを歩かせていただいているように感じ、慰められることがある。雑草と自分をダブらせたその若き牧師は、イエスの歩みと自分をも重ねたのではないだろうか。そして、それは復活へと続く道だったように思う。
パウロは次の手紙に、さらにこう書いた。「わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」Uコリント4:11



2005年8月21日

帰るべき場所

牧師 犬塚 契

「立って、父のところに帰って…」  
ルカ15:18 口語訳
「裸でそこに帰ろう」
ヨブ記 1:21

新しい仕事が見つかって、グルグルと1時間くらいの地域を行ったり来たりしている。昔の教会があった辺り、私が幼少を過ごした辺りを通って、いかに自分に大人になるに連れて、行動範囲が広がってきたことを感じた。「あー、この辺は池があった。ずい分遠くで遊んでいる気がしていたけれど、こんなに近かったんだぁー」と改めて思わされた。その場所は、夕方になると自分が家から、はるか離れたところにいるかのように感じて、急に不安にかられた場所だった。友達と「さよなら」をすると一人で帰らなければならないから、余計に寂しさが増した。「早く家に帰りたい」と不安な心の中で何度も繰り返した幼少を思い出した。帰るべき場所が与えられているということはなんて幸いなのだろう。どこに行けばいいのかわからない、誰に聞けばいいのかわからない。不安を感じても変える場所が定まらない歩みとはなんと生き抜き難い歩みだろうか。では心の帰る場所は、どこだろうか。痛んだとき、苦しんだとき、迷ったとき、傷ついたとき、私たちは神の言葉に帰る。それでも、かたくなな者だから、素直に帰らないこともあるかもしれない、寄り道するときもあるかもしれない。しかし帰るべき場所は用意されているのである。いつまでもかわらずに帰る場所は、用意されているのである。クリスチャンであっても、迷うし、罪も犯してしまう。「私は、罪の内を歩みません」と胸張って言える人なんて一人もいない。クリスチャンが胸張って言える事は何か?それは、「帰る場所を知っている」ということである。そして、そこでくぎに打たれた両手を広げて待っている方に赦され、愛されていることを知るのである。生きていれば、痛いことだってある。否、痛い事のほうが多かったりもする。人を責めたり、裁いたり、自分の醜さを責めたり、裁いたり…。忙しい毎日である。しかし、本当に疲れ果てたとき出てくる言葉は、「さあ、帰ろう」である。主と深く交わることとは、いつでも帰ることである。たいして立派なことしている訳じゃない、打ちのめされることもある、しかし帰る場所があることにただ感謝するのである。ルカの福音書に登場する放蕩息子。自分の力ではどうしようもなくなった時、彼が決意したのは「父のところに帰る」ということだった。苦しみに苛まされたヨブが叫んだ言葉は「裸でそこに帰ろう」であった。帰るべき場所を知っていることの幸いを思わされる。



2005年8月28日

献堂10周年記念礼拝を迎えて

牧師 犬塚 修

「苦難のはざまから主を呼び求めると、主は答えてわたしを解き放たれた。主 はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう。」詩篇118:5〜6

真田の地に新会堂が建立されて10年がたちました。今日までの主の深いあわれみと恵みを深く感謝します。献堂にいたるまで、様々な困難がありました。当時、会堂を建てるべき土地がなかなか見つからず、大変な苦労を体験しました。その忍耐と待望の期間は6年間も続きました。自分の力の限界を知らされた時、私たちが採るべき道は、主を呼び求め、必ず最善の道が備えられていることを確信し、心を一つとして祈りあうことでした。約13年間、活動した北矢名の会堂を出た当時の私たちは、当てなくさまよい歩く旅人のようでした。そのような経過の中で「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」(ヘブライ11:8)は私たちを励ましたみ言でした。そして、主は私たちの切なる叫びを聞いて、ついに驚くべき祝福を与えてくださり、この地に導かれたのでした。建築後の10年、教会は主の祝福に与って参りました。新しい信仰の友が多く与えられたことは筆舌に尽くしがたい恩寵であります。これからの10年、私たちは何を信仰の幻として、歩み出すことができるでしょうか。新しい夢、新しい希望、新しい信仰を持って共に前進して参りましょう。


TOP