巻頭言
2014年7月


2014年7月6日

「生身の姿で」

犬塚 契牧師

 しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。 ガラテヤの信徒への手紙6章

 キリスト教会で最初の宣教師であったパウロの手紙を少しずつ読んできました。旅行中にパウロが病を発症し、休養せざるを得ないところから、始まった教会は温かな雰囲気をもっていたと思います。弱さの内に表される神の恵みを見ることのできる教会だったのではないかと。しかし、途中から、「パウロとは何者か」と始まり、「律法も割礼も必要ではないか」との吹聴に教会の人だけでなく、ペトロもバルナバもが流されていきました。だから、ガラテヤという場所にあった教会に宛てられたこの手紙の書き出しは、パウロの怒り炸裂の書き出しとなりました。聖書中もっとも大切なことを短く伝えていると言われるガラテヤ書ですが、このゆえに教会は立ち位置を見失わずに矯正されていきました。最後の6章の部分は、パウロが「自分の手で」書いたと言います。目が不自由だったのでしょうか、大きな字で、恐らくは達筆ではなく、それでもパウロの生身が分かるような手紙の終わりになっていただろうと想像します。▲キリストの十字架が薄まるような、混ぜ物に対してパウロは怒りました。かつての負の遺産を背負ったベニヤミン族の出身で、教会の迫害者であり、イエスキリストの直接の弟子ではないことを指差されたパウロ。その歩みは、割礼の切り傷によっても、どんなにかの律法の遵守によってもまとまらないのです。キリスト抜きにして、どうにもならない世界があるのです。その絶望の深さがなお彼を十字架のそばに導きました。彼にとって、生きるとはただキリストの十字架の前に置かれて「新しく創造される」ことでした。何度も、何度も、そうなのです。



2014年7月13日

「目を上げて」

犬塚 契牧師

 主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。 創世記 13章1-18節

 神からの召命と約束の地へ移住、その後の転地、やがて乾燥地ネゲブでの飢饉を経験し、エジプトへの避難を余儀なくされるアブラハム。恐れ故、妻サラを妹と偽ってファラオのハーレムに入れてしまうところだった「サラ事件」。その創世記12章を読み終え、先週は13章でした。あの飢饉、あの事件からどれほどの時間を経たのでしょう、それともエジプト王の土産物が莫大だったのでしょうか。アブラハムもロトも財産が増えすぎてしましました。創世記は、こう書いています。「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。」(6節)ロトの父はアブラハムの弟ハランですが、既に亡くなっていました。アブラハムの旅に慕って着いてきたロトにとって、アブラハムが親代わりであったのでしょう。貧しい間は、分け合い助け合い、支え合って生きていけました。しかし、財産が増えすぎた今、一緒にいることが難しくなったとは、何か変わらぬ人間の在り様を創世記は示しているようです。▲そうして、離れることとなり、アブラハムはロトに語ります。「あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら…」これは、、甥を想うアブラハムの愛情でしょうか、神に委ねた信仰者の姿でしょうか、それとも選択を恐れ、甥に任せて、放棄してしまったアブラハムの弱さでしょうか。どちらにしろ、肥沃な低地を選んだロトを見送るアブラハムの目は伏していたようです。しかし、そのアブラハムに主は声をかけられました。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から…」。再び主に頼る以外になくなったアブラハムとの歩みを主ご自身が楽しみにしているかのようです。「あなたがいる場所から…」、その弱さの現状から、また目をあげてよいのです。アブラハムは、歩いて歩いてヘブロンの地に着きました。そこは、やがて、愛する妻サラの墓になる場所であり、唯一彼が手にした土地でした。



2014年7月20日

「困った神」

犬塚 契牧師

 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。 マルコによる福音書1章40−45節

 かつて「らい病」と訳された「重い皮膚病」とは、どんな病いだったのでしょうか。それは、病いだったのでしょうか。汚れなのでしょうか。レビ記13章に、その症状が出た人は、誰かが近づいてくると「私は汚れたものです。汚れたものです」と語って、離れなければならなかったと書いてあります。社会から隔離されての生活を強いられました。想像を超えた恐れと絶望があります。彼が、どこまで底へ落とされたのかはわかりません。けれども、そこから彼はイエスキリストに問うのです。律法は、私を汚れていると規定する。人は私をよけて歩いていく。私は語ることを許されているのは、人を遠ざける言葉だけだ。本当は言葉は人と人を結ぶのではないか。書かれてある以上の心はないのか。神の心もまたそこにあるのか。それだけなのか。それとも神の心は別にもあるのか。とうとう彼は、律法を犯して、「イエスのところに来て」しまいます。弟子たちも人々も驚いたことだと思います。「患者」が一般人の社会に来ることなど、あってはならぬことです。それほど、彼の求めは強いものでした。これまで、すべてを試してきたのでしょう。それでもそれが最後に残った選択だったのだと思います。彼は神の心を問いました。「御心ならば…」。もし、御心でなければ、願いが聞かれなければ、そのまま病気を生きていくことさえ、決めていたようにも思えます。イエスキリストは「深く憐れんで」触れられました。腹の底からの悲しみの共感を表す言葉です。そして、彼は癒されました。彼は社会に復帰し、彼はそのことを広めたので、イエスが社会で生きられなくなりました。マルコがほとんど背景を書かずに、1章にこの話を置いた理由はなんでしょうか。底を生きる人へのイエスキリストの共感と代替なきイエスキリストの権威と追いやられ十字架へ向かうイエスキリストの姿。そんなことを思います。



2014年7月27日

「夏期伝道チーム」

犬塚 契牧師

 

 7月12-21日まで東京基督教学園の学生たち6名が、夏期伝道チームとしてふじみキリスト教会に来教され、教会の宣教の手伝いをしてくださいました。南カナンハウスに8日間、教会に2日間、宿泊し、チラシ配布や教会清掃、草むしり、夕食会、カナンカフェ、BBQゲーム、祈祷会、礼拝での証しと宣教などをしてくださいました。派遣されたメンバーも大学1年生〜大学院2年生までの幅があり、ルーツもイギリスや韓国とユニークなチームでした。南カナンハウスでは、朝6:00-早天祈祷から始まる一日の流れがすでにありましたので、そのスケジュールに合わせて活動となりました。暑い日が続き、外の作業も多かったので、予定よりも足踏みしたこともありましたが、よい風をいただきました。▲先に送っていただいた写真と証しでは、計りきれない人の深さに出会いの中で、気付かされます。わずかな10日間でしたが、寝食を共にし、会話を重ねるといろいろな思いを心にいただきます。それぞれに必要なだけの導きをいただいて、今日共にあれる不思議を思います。聞くとさまざまな葛藤の中を当然に置かれています。それでも、生かされてあることの感謝と主イエスキリストの血潮による贖いを知らされる恵みを覚えます。「人間であることは、捨てたもんじゃないなぁ。人間であることって嬉しいな」と話された宮村武夫牧師の言葉を思い出します。それは、またこう続きます。「それで人間はまた恐ろしいな。人間が神を忘れると自分を神とする。自分を神としたらどれだけの人を傷つけるかどれだけ自分が傷つくか」。▲彼らが奉仕くださるので、少し楽をする10日間の予定でしたが、それは狂ってしまいました。ただ、彼らが帰ってから、随分さびしく感じるのは、よい出会いだったからだと思います。





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