巻頭言
2008年7月


2008年7月6日

忍耐力を働かせる

牧師 犬塚 修

あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによ って、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点 のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力 を十分に働かせるがよい。 ヤコブ1:3〜4

人生をより豊かですばらしいものとするためには、忍耐力を 十分に働かせることが必要です。この忍耐力は、難しい問題 や困難、また苦労や心の痛みなどという限られた所で豊かに 成長します。あの美しい苔は、陽の当たらない暗い谷底で、 良く育つことと似ています。私達は時々、自分の願いと、全 く違う風になる事で、イライラしたり、内心、腹を立てる事 はないでしょうか。自分の考えではAからBに行くはずでし たのに、何とCにつながるのです。それが耐えられない気が するものです。だが、そこが大切なのです。もし、私達が、 感情に任せて短気になったり、自分の悪感情をおし殺したり 、逆に自分の願いを押し通そうとすると、信仰の成長はスト ップしてしまいます。その時は“自己中心性”という最もし つこい雑草を抜き取る絶好のチャンスなのです。神は私達の 心の成長のためにあえて、 不愉快な事、ムカムカする事、自 分の思い通りにならない問題や障害物を目前に置かれます。 そこで、心を静め、忍耐し、すべては神から与えられたもの だと悟り、感謝するならば、私達の信仰はグングン伸びてい きます。神はその従順な心を見て、喜び「わが子よ、よく分 かったね。忍耐したね」と誉めてくださいます。「いつも喜 んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感 謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があな たがたに求めておられることである。」(Tテサロニケ5:1 6〜18)



2008年7月13日

「無効」

牧師 犬塚 契

「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定め られることはありません。」 (ローマ8章)

ローマの信徒へ宛てた手紙にパウロはあらためて十字架の赦しの大 きさを伝える。けれども、なんともたくさんの請求書が体にまとわ りついているように感じることが多いことか…。請求書には、請求 額が書かれている。「罪が支払う報酬は死です」。死という請求額 。肉体的な死だけではなく。霊的な死。神と完全に切れた状態が、 請求額である。そして、貼る場所がすでになくなったとしても、請 求書の上に請求書が貼られていく。あまりの請求の多さにどうしよ うもなく途方にくれる。けれども、よくよく請求書の内容を確認し てみると死と書かれているはずの請求書は、すでに領収済みと印が 押されている。どの請求書にも…。サタンは巧妙にその請求書が有 効であるかのように迫ってくる。しかし、請求書はすでに領収済み であり、無効であり、死を宣言することができず、「罪は支配権を 失った」という事実が信仰の中で確認されるのである。払われた代 償はイエスキリストの死である。▲「キリストの十字架の生々しさ こそ、人々に突きつけられて、人間の罪のほどが究明され、事実と しての真実な神の生きた愛が掲示されなければならない、と。事柄 は、上品とか、趣味とか、道楽、快感、美感という問題ではなくし て、もっと真剣な、命がけのことなのだと、言葉の遊びではないの だと。」(小畑進著 コリントの信徒への手紙 提唱)。



2008年7月20日

それがどうしたの?

牧師 犬塚 修

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込 めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と 考えとをキリストイエスによって守るでしょう。 Tペトロ4:6〜7

偉大な宗教改革者ルタ−は、いろいろなストレスを抱え、悩みが尽 きませんでした。次々に押し寄せる難問題にさすがの ルタ−も、 欝状態となり、重い足取りで自宅の玄関から入りました。その時、 出迎えた妻は喪服を着ていましたので、ルタ−は驚き「誰が亡くな ったのか」と訪ねたのです。その時「あなたの主イエス様です」と いう答えでした。ルタ−はこの言葉を聞き、「私はイエス様を死人 の中に数えていた!」と深く悔い改めたといいます。口ではイエス 様の復活と勝利を説教しておきながら、実際は恐れおののいて不信 仰になっていた自分を気づいたのです。もし、本気で復活されたイ エス様を信じるならば、喪服ではなく、結婚式の礼服を着ることが できます。K牧師も耐え難いほどの辛い状況を、愛する奥様に相談 したそうです。おそらく優しい慰めの言葉が返ってくると期待して いたのですが、予想外の返答でした。「ソウ−・ホワット?」日本 語では「それがどうしたの」という意味です。余りの冷静さに愕然 としたそうですが、良く考えてみると、実にすばらしい一言である と、心から深く感動したと言われました。「だからそれが何なの? 」と聞き返す言葉には、神への絶対的信頼が満ちている名言です。 私達に必要なものは、人間的な慰めではなく、神への信頼です。こ の世に恐れるものなど何もないという確信に立ちたいものです。



2008年7月27日

 「宣言」

牧師 犬塚 契

…あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚まし ていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈ってい なさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、二度目に向こうへ行 って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去ら ないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」再び戻って 御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。  マタイ26章40節〜

「本当ですか?本当に十字架に架かることが呪いではなく、祝福に なるのですか?」イエスキリストは、迷われ、悩まれ、苦しまれた のである。もし、これからなされようとしていることが、何の疑い もなく、神の御心との確信があればこんなには苦しまれなかっただ ろうと思う。しかし、分からなかった。だから、生涯で一番つらい 夜には心ひとつにして、共に祈ってほしかった。…がそれも叶わな かった。▲結局、ごくごく小さな変化すら起きていなかった。ホサ ナと熱狂して向かえた民衆は手の平を返した。数年、寝食を共にし た弟子たちの共感すら集めることができなかった。世の中、一向に 変化なし・・・だ。▲主の苦しみに比べられるものではない。それ でも、私たちの日常にも期待に反することが多々あり、変化なしも ある。悔しくて、情けなくて、大抵は愚痴をこぼし、指をくわえ、 前向きのエネルギーが出ずに、余計に惨めになるのだ。▲ファミリ ーキャンプに参加できなかった方々に朗報です。岸先生は、新しい こと、珍しいことは何一つ言っていませんでしたよ。私達が聞いて 来た福音を声を大きくして伝えて直してくれただけです。ただ、圧 倒的な宣言をもって!▲日常(的)に愚痴や不平がでる私の口に必 要なのは、その宣言なのだと思った。「主をただ御心をなして下さ い。」





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