巻頭言
2016年6月


2016年6月5日

「引き上げられたモーセ」

犬塚 契牧師

 その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」    <出エジプト記2章>

 神が直接にも歴史に介入された出エジプトの出来事。イスラエルの人々にとって、彼らの背骨のような記事。不遇や理不尽や背信の結果を生きる時も、出エジプトをおぼろげにも指さし、「神は介入されるのだ!」と前へと生きる力としてきました。▲増えすぎたヘブライ人を減らすべく、エジプトのファラオは男の子を川に流すように命じます。元気な男の子の鳴き声を隠せなくなった両親は、防水を施した籠にいれてモーセを流します。拾い上げたのは、「王女」でした。おそらくはかつて女性の王として治めていたハトシェプストでしょうか?現在のファラオの命令に背くことを知りながら自分で育てることを決めます。拾い上げた籠を遠くに眺めるのは、赤ん坊の姉でしょう。ハトシェプストは、すべてを察し超法規的措置を行って、モーセは「王女」の代わりに実の家族に囲まれて育てられることになります。そして、育ってからはヘブライ人でありながら、エジプトの王子と同じ環境で学ぶようになり、当時の最高の学問を教えられました。語学、歴史、文化を学んだことによって、後の出エジプトを果たす、リーダーの資質が育ったと言われます。しかし、そんな後の人々の評価に逆らって、エジプト人でもヘブライ人でもないというジレンマをモーセは経験します。むしろ、それらは最悪の条件に近いものとも言えるでしょう。ならば、思うのは、徹底した神の恵みの働きが、モーセをかくべく立たせたのだということです。モーセという人の偉大さと特殊が称えられるべきでなく、神の御業が覚えられるべきでしょう。▲旧約聖書に燦然と輝く出エジプトの出来事は、新約聖書も合わせて考えるならば、イエスキリストによる解放を示しています。モーセの後に時代を生きる私たちにおいては、イエスキリストによって、罪の支配からの脱出が与えられています。それもまた徹底した神の恵みの働きによるものでしょう。



2016年6月12日

「心を見る神」

犬塚 契牧師

 サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。<サムエル記上16章>

 やがて王となるダビデに、サムエルから油が注がれる場面。エッサイの息子たちの中で最も可能性が薄いと思われて、羊の番を命じられていたダビデが結局、サムエルの目に留まりました。実際にダビデがイスラエルの2番目の王となるのは10年も後の話ですが、ダビデの人生の基軸が据えられた日でした。以後のダビデが責めらるところのない立派な王であったかと問われれば、あらゆるダビデの醜聞を旧約聖書は、もらすことなく伝えています。若き日の高慢もなりふり構わぬ命拾いも我を忘れた怒りの時もありました。犯した殺人も姦淫も隠されてはいません。もう叩いても何も出てこないでしょう。しかし、そんなダビデが神様のお気に入りに数えられていることは不思議なことです。▲詩編には70を超えるダビデに由来する詩が収められています。中にはどんな状況の中でのことかを垣間見ることのできるものもあります。サムエル記に書かれてある背景と照らして読むならば、彼の心の内と外の状況との開きに驚きます。「神の御言葉を賛美します。神に依り頼めば恐れはありません。肉にすぎない者が/わたしに何をなしえましょう」(詩編56編)と詠んだ時、彼はよだれを流し、体をうち叩いて、狂人のマネをして命拾いしていました。どこに彼は神の守りを感じて、賛美を覚えたのだろうと思います。▲ダビデがサムエルから油を注がれて以来、彼は自分の人生を神の臨在の内に置きました。彼がどうでああろうと状況が何を否定しようと神にとって自分が大切な存在であることを信じ続けました。自分が蒔いた種であろうと巻き込まれたやっかいごとであろうと自分中心の視点で世界を見たのではなく、どこまでも神の支配が及ぶことを信頼していました。▲「主はわたしの支えとなりわたしを広い所に導き出し、助けとなり/喜び迎えてくださる。」詩編18編



2016年6月19日

「何も持たずして」

犬塚 契牧師

 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。 <マルコによる福音書6章7-13節>

 イエスキリストの故郷ナザレでの伝道の失敗、その後に続く弟子たちの派遣の場面。二人づつ組にして伝道に向かわせる際の持ち物リストが書かれています。他の福音書は「杖」すら持っていけないことになっていましたが、マルコの記事には杖が許可されています。どっちが本当かと考えることよりも、リストの中身以上に大切なことがあるのでしょう。「旅人をもてなす」文化にあったこの地では、こんないで立ちでも飢えはしなかったのだと思います。そして、点在するシナゴーグ(会堂)において、伝道する機会もあったのでしょう。それでも心細い装備で出かけたものだなぁと感じます。イエスキリストは、伝道したかったのです。弟子たちの訓練のため、練習を重ねることを目的としたのでなく、「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」と伝えたかったのです。ローマの支配下に置ける圧政の中で、「神の国は遥かに消えた」のでなく、「近づいた」と声大きくしたかった。「悔い改め」とは「立ち返ること」であり、ただかつての「悪い自分」が「良い自分」に戻ることに留まらない、神の元への立ち返りを迫りました。それは、神がなお待たれることの証拠であり、法外な「よい知らせ」でもありました。▲6章には、「弟子たちの伝道旅行の派遣」ですが、教会や牧師たちが参考にしたいような「宣教の方法」を提示していません。なんだか残念にも感じます。私にとっては、結局何も持たないような伝道旅行の持ち物リストよりも、どのような言葉で、どのような場所で、どう力強く伝えるかのほうが遥かに大切に思えます。しかし、ゆっくりと読む聖書の言葉に、起こりくる一つ一つの出来事の中で信仰をいただいて、主にすがり、その都度に力をいただいていくことが大事なのだと教えられます。何も持たずして、産まれた私たちは、きっとそう生きて来たのだし、これからもそう生きるものだと思います。



2016年6月26日

「キリストの真実」

犬塚 修牧師

 「私達は誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」(13節) <第二テモテ2:8〜13>

 当時、パウロは人生の晩年に差し掛かっていた。顧みると、悲哀、失望、落胆、寂寞の念が込み上げていた。そのような中で、愛弟子テモテにこの手紙を書いた。パウロは自分を主の兵士と見なし、絶対的に服従する事を志した。主のためならば、どんな犠牲も厭わないという決意を固めていた。「私たちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる」(11節)「死ぬ」とは世との断絶である。心の面で言えば、古い価値観に別れを告げる事である。私達は進化論的な考え方に支配されやすい。弱肉強食的な感覚を抱き、勝手に優劣を判断し、弱者を踏みつけ、強者を恐れる。黒を白となし、自分が好む事柄に偏執狂的にこだわる。高慢、差別心、不平等、格差、矛盾、理不尽、不正義がこの世の支配者となっていく。▼主キリストの命令は愛する事、赦す事、平和を建て上げる事である。慈愛、寛容、自制、忠実、柔和が人生の実となる。パウロは救われる以前は、自我の強い生き方を続けていたが、主と出会い、無欲な忍耐の人に変えられた。▼だが、確かに自我に死ぬ事は難しい。パウロも「私たちは誠実でなくても」と正直に告白し、自分も不誠実の一面があると自覚していたが、弱い罪人の自分にも主は真実を尽くして下さると信じた。「真実」は「権利証書」の意味である。土地を買った場合、その権利証書は絶対的な価値を持つ。キリストの十字架という無償の愛によって、私達は永遠の命という救いの証書が与えられた。すでに赦しは主によって完成された! それを私達は確信しなければならない。▼この確信が揺らぐ時、心はストレスのとりことなり、悩みや思い煩いが激増してくる。殺人ストレスというものがある。これは、間断なく何度も打ち付ける海の荒波に似て、心身を食い潰していく恐ろしい毒素となる。このストレスに打ち勝つ秘訣は、悩みと悩みの間に、キリストを置く事である。丁度、強固な防波堤のようなお方として主に頼り、重い問題を自分で処理しない決意を持つ事である。主が真実を尽くし、守り助けて下さると信じ続けましょう。




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