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巻頭言 |
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「セカンド・ベスト」
牧師 犬塚 修
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があな
たがたに求めておられることである。Tテサロニケ5:18 |
この命令を 道徳的・律法的に解釈すると恵みとはならない気がします。なぜならば、そうできな い自分にいらだったり、開き直ったりする恐れがあるからです。また、自分の信仰の
弱さを嘆き、虚無的で敗北主義的な傾向に陥るでしょう。パウロはそのような意味で はなく、これを“恵み”の命令として書いたのです。現実の世界は自分が願ったよう にならない事が多いです。そのような状況下で、どうしたらいつも喜んで生きる事が
できるでしょうか。その秘訣はセカンド・ベストの生き方にあると信じます。ファー スト・ベストを求めるとは、自分にとって最高の状態を切望する事です。しかし、そ れが異常な執着やこだわりと堕し、中々実現しない事により、主に対する激しい怒り
、不平、絶望感を貯め込みます。それが悲劇と不幸をもたらす原因となるのです。ス ト-カ-行為はその現われです。「人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそ
われるからである」(ヤコブ1:14)とあります。これに対して「セカンド・ベスト」とは 、最高の状態を切望せず、「次善」でも十分に感謝する心です。もし、私達がファ-ス
ト・ベストだけを追求するならば、現実をそのまま受容できず、自分を“悲劇の主人公 、または被害者”と見なすでしょう。大事な事は、希望通りに進まなくても、そこに も主のご支配があると確信して、まずとりあえず「これも感謝しますと言うのです。あ
とで、感謝の理由をアレコレと考えるのです。これが「すべてを感謝する」秘訣です。 どんなに足りない状況であっても、感謝して受け入れる時、不健康な空想趣味、妄想癖
、「〜依存症」、さらに犯罪への傾斜に至る事はありません。「まずは感謝します」口 癖こそが人生をすばらしく変えるのですから。
「肉の欲」
牧師 犬塚 契
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させる
ようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自 分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、
わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っ ておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。これに対して、霊の結ぶ実は愛であり
、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望 もろとも十字架につけてしまったのです。 ガラテヤ>5章16〜24節 |
「キリストと共に」
牧師 犬塚 契
フィリピの信徒への手紙 1:215:18 |
田舎で起きたイエス・キリストの十字架の出来事を神学的にまとめ上げ、
それを生き抜き、福音として全世界にまで広めた人物。イエス・キリストの弟子12名ではなかったが、当初クリスチャンを迫害する 者であったところから回心し、教会を建て上げ、12弟子にまで影響を与えたパウロ。それから後のクリスチャンの切り札であり、
代表である。そのパウロが、今、自分は板ばさみだと語る。早く復活の主イエス・キリストとまみえることを願っているが、まだ 地上での使命も残っているようだと…。パウロにとって生きることは、自己実現の謳歌でなく、キリストを生きることだった。▲
アダムとイブが罪を犯して以来、地上にはその報いとして死がフッと入ってきた。神が「良し」として造られた地上は、その美し い片鱗を多く残しながら、死もまた同時にある状態になった。いつまでも生きられると思いがちだが、隣人が天に召されると、死
がある現実を改めて教えられる。しかし、「イエス・キリストは門」であって、そこを通るときに、死は天へ続く玄関であること を思う。また会うことのできる幸いを思う。