巻頭言
2003年6月


2003年6月1日

「伝道と賛美」月間を迎えて

牧師 犬塚 修

恐れをいだくとき、わたしはあなたに依り頼みます。 神の御言葉を賛美します。 神に依り頼めば恐れはありません。  詩編56:4, 5

ダビデは恐れをいだいていました。彼の心は悩み衰え、明るい気持ちがそぎ取られて 茫然となっておりました。確かに、私たちにも時々、苦悶に打ちひしがれる暗黒の夜が 訪れる事があります。そのような時、神に対する信仰も喜びもなくなり、悲しみと失望 が迫ります。けれども、ダビデはその魂の暗がりから、主により頼みつつ、その御言葉 を賛美して立ち上がります。彼は弱い自分を率直に認め、ひたすら神の御言葉をほめた たえます。賛美とは、自分が楽しい時だけにするものではなくて、たとえ心が衰弱した 状態の中であっても、神にささげる勇気ある魂の表白です。それは自分が今まで固く持 っていた自分の願いや考え、計画や主張、確信や信念などという冠を、すべて主に明け 渡すことです。また自分が自力で何とかしなければ…という肉的な思いを捨ててしまう ことです。「私が主になり代わってここで何かしなければならない…主のようになって 素晴らしい言葉を言わないと…もっとサ―ビス精神を発揮して相手の期待に応えないと いけない」という義務感にとらわれ、人間的な熱心さでがんばってしまう事はないでし ょうか。それは自分が救い主の座に座って、必死でばんばっているという姿に似ていま す。このことは結局、疲れと悔恨と失敗で終わります。これは主の絶大な力を過小評価 してしまうことから生まれます。「主は私の精進や必死の努力を見て、行動を起こされ るのだ」と勘違いし、無理矢理に偽りの自分を演じてしまうのです。主が時に叶ってな されることはすばらしい愛の行いだけです。私たちの信じている主は無から万物を創造 される全能の神ではないでしょうか。賛美は、「私には何もできません。あなたがすべ てをしてくださいます!」という打ち砕かれた告白が私たちの伝道と賛美となるのです。



2003年6月8日

人間の無限の価値

牧師 犬塚 修

「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し…」 イザヤ書43:43

一ヶ月ほど前、16世紀のイタリア・ルネッサンスの時代に作られ「彫刻のモナリザ」と 呼ばれた金細工の「サリエラ」がウィ―ン美術史美術館で、盗難にあったというニュ-ス が全世界に流れました。時価が約67億円というのにも驚きましたが、これが高さ16 センチの「塩入れ」であったことにもびっくり仰天いたしました。確かに豪華な金で細 工された見事な作品とはいえ、日常生活に使っていたものが…と絶句いたしました。そ れにこれほどの高値がつけられていたのです。翻って考えますと、私たち人間は無論 「塩入れ」などではありません。聖書では、人間は神の最高の芸術作品であると書かれ ています。名工がその熟練した技術を駆使して造るように、天地創造の神は私たちを驚く べき存在として造られたのです。人間は神のイメ-ジト通りに造られました。ですから、私 たちには値がつけられないほどの無限大の価値が付与されています。神は私たちに「あな たは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたの神の御手の中で王冠となる。」 (イザヤ書62:3)と宣言されました。人がこの世に誕生したという事実には深い意味が隠 されています。つまり、私たちは神と共に生き、神のみ業を行うという目的をもった存在 として誕生したのです。私たちは神との愛の交わり、また、自分の人生を楽しむために生 かされています。なぜ、神はそれほどまで愛されるのでしょうか。私たちが良い人間だか ら、良い行いをするから、卓越した能力があるから、見事な実績を残したから愛されるの でしょうか。決してそうではありません。たとえ、私たちが何もできず、無に等しく、無 能、無力な者であってもかけ値なしで愛されます。あるがままの私たちを無条件に愛され ます。それは私たちが神の宝物、即ち神の子として創造されたからです。



2003年6月15日

み言と賛美に生きる

牧師 犬塚 修

霊に満たされ、 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌 いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリス トの名により、父である神に感謝しなさい。  エフェソ5:18〜20

「1972年、相模原市役所から一人の若者がプロ野球界に飛び込んだ。ドラフト外で、そ の支度金はわずか20万円、入団後も不振をきわめ、何と3年目の二軍前半戦の打率は、 わずかに0割6分!彼は自分の実力に絶望した。しかし、彼はそこからよみがえった。 毎日、ただひたすらに必死でバットの素振りをくり返した。……そして、ついに豊かな 実を結び、名バッタ―として急成長していった。その人の名はホエ-ルズの高木由一元選手」 といった内容でした。私自身、いろいろ教えられました。その一つは実力というものは、 頭ではなく、苦労して体で覚えて初めて身につくということについてです。頭で丸暗記し たものは、すぐに忘れてしまいますが、体で記憶したものは一生残ります。信仰も似てい ます。信仰は頭で理解するのではなく、苦しみを通して真理を学びえます。第二は祝福は、 自力で勝ち取るというよりも、向こうからやってくるということです。天は労苦している人 を見捨てないように、確かに驚くべき人生の祝福は神から訪れてくるのです。勝利を信じ て平安を抱いてさわやかに生きることです。第三は決断と実行力のすばらしさです。もし、 彼が不安と心配をかかえたまま、何もしなかったならば、つぶされていったでしょう。しかし、 彼は不安と絶望の闇を切り裂くような決心で、愚直なまでにバットをふり続けるという基本を くり返しました。私たちにとって基本とは、み言と賛美に日々、徹することです。み言を 読み続け、どんなに今の状態が悪くても、うまくいかなくても、主のなさる事は、時に叶って 美しいと信じて疑わず、感謝をささげることです。そして必ず将来は主の栄光が現されると 確信して、ただみ言と賛美に命をかける事です。



2003年6月22日

感謝と讃美の生涯

牧師 犬塚 修

ハレルヤ。聖所で神を賛美せよ。大空の砦で神を賛美せよ。力強い御業のゆえに神を賛美 せよ。大きな御力のゆえに神を賛美せよ。  詩編150:1〜2

感謝と讃美は楽しい時、嬉しい時にささげるものと私たちは思っている気がします。しかし、 この考え方では、悲しく辛い時には、そう中々出来ないという事になってしまいます。ところ で、私たちの人生にはよく逆風や辛酸をなめる出来事が、多くありますので、どうしても感謝 や讃美ができず、不平と重い吐息のほうが現実味を帯びてしまいます。年老いるほど、苦労や 悲しみが増すならば、人生はあきらめと断念、無念さが激増していくこととなります。けれど も、私たちが主からいただいた信仰の道は断じてそうではないのであります。たとえ、私たち が絶望的な状況に置かれ、誰が見ても悲惨そのものと思える地獄のような只中にあっても、な おも明るく笑い、ハレルヤ!と神を賛美し、幸福感に満たされることができるのです。これは まさしく奇跡なのです。主を心から信じ愛する人は、そのようなふしぎな体験をなし、周りの 人々も神の偉大な愛を知っていくのです。先週、愛する二人の兄姉が天国に凱旋されました。 お二人ともすばらしい信仰の持ち主でした。自らが走るべき行程を走り尽くし、主にあって生 かされる喜びと証しをたくさん残して、本当のふるさとである天国に帰られました。佐藤カズ エ姉の大好きなみ言葉は「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい、すべてのことについて 感謝しなさい」(第一テサロニケ5:16〜18)でした。姉妹は「万事は益になる」という信仰に生 きた深い祈りと愛の人でした。唐澤忠夫兄は、今年の5月1日病床洗礼を受け、激しい痛みに も耐え、勇敢に戦いぬき、日本の古武士・侍のように信仰を全うされました。いかに苦しい時 でも、救われた歓喜のゆえに、感謝をもって見事に勝利されました。あとに残されたご遺族の 上に、主の慰めと平安をひたすら祈るものであります。



2003年6月29日

神を従う人生

牧師 犬塚 修

立って、あなたたちの神、主を賛美せよ。とこしえより、とこしえにいたるまで 栄光ある御名が賛美されますように。いかなる賛美も称賛も及ばないその御名が。 ネヘミヤ9:5

今から約400年前の戦国時代に、英傑と謳われた剛胆の人高山右近という大名 がいます。この人は熱心なキリスト信徒でした。その信仰は純粋無垢で、一途に キリスト信仰を貫き通したものでした。彼は自分を正しいとしたり、また、織田 信長や豊臣秀吉のように自分を神のような座におき、人々を支配しようとしたり せず、謙って神に従うことを喜びとした人物でした。右近をめぐるさまざまな人 物模様について興味深い記事を見つけました。そこには次のようにありました。 一つは「人生これ夢じゃ。どうせ夢なら、大きいほうが良かろう。右近、世界を 征服する夢はどうだ!」と大言壮語した秀吉の言葉です。一生を夢とすると、ど うしても現世的刹那主義になり、勝つか負けるかという激しい競争心に駆り立て られ、敵を殺そうとするギラギラした生き方になるものです。次は「右近殿、さ すれば、貴方のキリスト様はどんなに栄華を極めた王国より野の百合が勝ると…」 という千利久の感嘆の言葉です。茶道を追究した利久は権力欲、我欲から解放され た魂の自由さがあふれていた右近の生き方に驚きます。確かに、右近にとって世の 栄光、名声、評価、所有欲等は色あせて見え、むしろ、まことの神の命令に従い、 神を賛美して生きる事がベストで幸福な道であると信じていたのです。彼は後に、 フィリピンのマニラに追放されますが、そこで、信仰と希望を抱いて、多くのハン セン氏病の人々と共に生きることを選び取りました。「剣をとるものは、皆剣で滅 びん。…剣ではなく、愛の力で平和の世界を作りなさい。それがどんなに困難な道 であろうと、決して負けてはならぬ」と静かに語ったと伝えられています。それは 勇ましい生涯でした。


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