巻頭言
2021年5月


2021年5月2日

「主イエスの居場所」

犬塚 契牧師

はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 <マタイによる福音書 18章15-20節>

 この記事の前には、一匹の羊を探しに行く神様の心のたとえ話。この記事の後ろには、法外な赦しを覚悟する神様の心のたとえ話。はさまれて「教会の問題解決マニュアル」に読めなくもない15-20節です。曰く、「兄弟があなたに対して罪を犯したら」@まずは二人だけで(噂も連絡網も使わない。本人のいないところで問題を広げない)A次にもう一人か二人を証人にして対話を試みるB教会で親身に相談をするC致し方ない破門かぁ。▲当時の教会が実際に直面していた危機に必要な段取りだったのかも知れません。ここまで関わればもう十分という気もしますし、ここまでも大変な労力が必要な話です。それでも、前後のたとえとの関連で読むとき、「最後は仕方ない」という結論が趣旨ではないのだと思えます。続けて記されている主イエスは言葉があります。「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天井でもつながれ…」教会、キリスト者は大きな鍵を預けられました。特権を与えられました。地上で赦さないことは、天でも赦されず、地上で赦すことは、天でも赦されるというのです。しかし、天にまで影響を与えるようなこんな大きな権利を人に渡してもよいのでしょうか。▲世界の平和を望み祈りながら、私事においてはあっという間に暴言が浮かび、吐き、「暴力的」な解決に心を傾けています。いざとなったら、容易に向こう側に倒れてしまいそうです。ならば、「どんな願い事であれ」とは、「欲しいものはないか?」というサンタクロースの呼びかけではありません。この場面において、心をひとつにして願うことは「赦せるようになりたいのです。愛する者でありたいのです。」という一事です。創世記に登場するヨセフ。エジプトの宰相になった彼は、かつて自分を忌み嫌い、奴隷として売った兄たちを赦す時、国中に聞こえる声で泣きました。苦しいことでもありました。人の切なる願いであり、神の御想いであり、主イエスがおられる場です。



2021年5月9日

「兄弟 サウル」

犬塚 契牧師

すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、…」 <使徒言行録9章1-19節>

 横断歩道が足りないと勝手にラッカースプレーで道路に白線をつけ足し、町中のすいがらが気になって懸命に集めはじめ、さらに大きなものを川に見つけ、沈んだ自転車をずぶ濡れになりながら引き上げたりもしました。また、適切に管理されてないと思えば、すべてが自分のものに思えて持って自宅に帰ることもありましたから、教会の管理も問われました。「この事務所からなくなったものを当ててみよ」「分かりません」「じゃあ、何をもっていったか教えない」。そんなエピソードに欠かないのが明石満さんでした。65歳の生涯を終え、天に召されました。4月29日に連絡をいただき、アパートでの発見だったので、警察署に本人の確認に行きました。のちの検案の結果、くも膜下出血でした。5月3日告別式、納骨式を行いました。▲虚飾なく、人目関係なく、むき出しのまま生きたのは、その病の成せる業だったか、理解され得ない淋しさ故か、生来の繊細さの裏返しか…基本的に優しい人であったと私は振り返っています。とてもマネできぬ強さもありました。好きな人でした。思い出しながら、キリスト教会の切り札、大伝道者サウロの回心の9章を読んでいました。サウロの劇的な回心ですが、彼自身によってはその詳細が記されることはありませんでした。むしろ控えていたようにも思います。使徒言行録はルカが書いたものです。「サウロの回心」の9章を読んでもサウロの言葉は一言だけ登場するのみです。「主よ、あなたはどなたですか」。▲明石さんは、ずっと聖書を書写していました。ノートを何冊も重ね、一度終わり、二度終わり、今は三度目か四度目だったでしょうか。山のごとく積まれた荷物の中で書き写しつつ「一度じゃわからないんだよなぁ」屈託なく笑っていました。その作業は、「主よ、あなたはどなたなのですか」と問うたサウロの求めと重なる気もするのです。その求めに主イエスは答えます。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。信じることとは、この求めとこの答えに集約される愛の往復のことでしょう。明石さんは、信仰者でした。このサウロの回心に、アナニアという人が登場しますが、聖書の中でここだけで知られる貴重な存在です。徹底した迫害者であったサウロに対して、アナニアは恐る恐る声をかけたのでなく、「兄弟サウル」と呼びかけるのです。主イエスがおられるがゆえに可能な呼びかけです。「兄弟満」と惜しむものです。



2021年5月16日

「キリスト者と呼ばれて」

犬塚 契牧師

 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。…それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。  <使徒言行録11章19-26節>

 エルサレムでユダヤ主義者たちからの迫害を受け、ギリシャ語を話すキリスト者たちは散らされていきました。「夢と希望溢れる未来に期待して・・・」という引っ越しでなく、逃亡でした。アンティオキアまで500キロ。電車もバスも自転車もない道中の苦労を想像しますが、それでも途中において福音を知らせながら旅をつづけたようです。シリア州の首都アンティオキアには、多数のユダヤ人が暮らすコミュニティがありました。彼らは目下そこにつながり、み言葉を語りました。しかし、キプロス島やキレネから来た信仰者たちは、民族問わず福音を知らせていたようです。どういうルートで彼らは福音を知り、また伝道を志したのか、詳細が分かりません。突然に登場する名も知られない伝道者たちの存在は、不思議であり、想像するとロマンを感じます。キプロスはバルナバの出身地であり、キレネは主イエスの十字架を代わりに背負ったシモンの故郷です。アンティオキアの教会は、国際色豊かなパッチワーク教会となりました。▲そこにバルナバがエルサレム教会から派遣されてきます。なんだか偵察のような感があります。しかし、バルナバはその教会を気に入り、タルソにいたパウロも引き出して、教会で働くようになりました。キリストの愛、キリストの贖い、キリストの罪の赦し、キリストの奉仕、キリストの交わり…、「キリスト」にこだわるアンティオキアの教会の人々は、次第に周りの人から「クリスチャン(クリスティアヌス)」と呼ばれるようになります。そのあだ名を喜んだのは、信仰者たちでした。アンティオキアでクリスチャンが誕生したのです。



2021年5月23日

「信じるようになるため」

犬塚 修牧師

 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。              <使徒言行録15章1〜21節>

 「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じています」(11節) 紀元48年の「エルサレム会議」は、キリスト教会の歴史において「天王山の戦い」となった。もし、パウロに反対する人々が勝利したならば、世界中の教会は存在していなかったであろう。パウロにとって救いは「イエス・キリストを信じる信仰だけで得られる。救いは神の恵みによる。善行によるものではない」と主張した。一方、ユダヤ・キリスト者は「信仰プラス律法の行い」をした。両者の主張は激突し、教会は混乱した。その中で、パウロ達が勝利を収めた。▲ユダヤ・キリスト者の救いー他者に対して「主を信じるだけでは、救いは不完全である。律法を守れ。割礼を受けよ。そうしない人はだめな人間 だ。もっと努力し、正しい行いをしなければならない」と厳しく非難する。そして、冷たい裁きの精神が蔓延していく。また、その考え方を自分に向けると欝症に陥り、生きる力は消え、愛の心も失われる。▲パウロの救いーパウロは人間の不完全さ、弱さを深く知りぬいていた。彼自身、恐ろしい失敗を犯したが、主を信じることで、罪赦され、平安と歓喜の人と変えられた。「たとえ最悪な自分でも、主を信じる事で、どんな罪でも赦される」と確信した。己の罪を真摯に自覚できる人は幸いである。その人は望みを、人間(自分も含めて)に置くことをやめ、主イエスのみに置く人となる。モーセの時代に、不従順の罪を陥った民は、蛇に噛まれたが「青銅の蛇」を仰いで癒された。神は毒が全身に広がらないようにされたからである。私たちは「青銅の蛇」となられた主イエスを仰ぐ信仰に立ちたい。主は悪や災いも益(善)に変えられる。ある婦人がしみのついたハンカチを見せて嘆いた。ラスキン氏はそれを貰い受け、数日後、同じものを婦人に見せた。そこには複雑で美しいデザインを描かれていた。主イエスは私たちの人生の傷やしみを清めて、驚くべき恵みと救いを与えて下さる。



2021年5月30日

「パウロの見た幻」

犬塚 契牧師

 さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。    <使徒言行録16章6-15節>

「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」(15:36)そう始まったパウロの二回目の伝道旅行でしたが、早々にバルナバとパウロの仲たがいが起こります。前回の伝道旅行で臆病風に吹かれた青年マルコをなお育てるべきか、もう見切るべきか…割れてしまいました。「そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出した…」これからの宣教の記録はパウロのものになっていきます。▲その後、パウロは陸路かつての巡回の地を巡ろうとします。しかし、アジア州にも、ベティニア州へも向かうことができませんでした。そのことは、上記聖書個所、「聖霊から禁じられた」、「イエスの霊がそれを許さなかった」と記されています。許されなかった理由の詳細は書かれていませんが、多くの学者がパウロの持病の悪化を指摘しています。当初予定した地方へは向かえませんでした。辺鄙な町への訪問は自粛せざるを得えず、一路、大きな港町トロアスに行かねばならなかった理由があり、また、10節以降から続く「わたしたちは」とは、この旅に医者ルカの帯同が必要となった状況がありました。パウロの持病による予定変更は、あり得ることです。彼自身がUコリント12章で、どうしても取り除かれなかった「一つのとげ」について書いています。それは目の病だったか、またはてんかんか、精神的な疾患か分かりません。ただ望まざる変更が強いられました。▲順調に進んだ旅行よりも、途中のちょっとしたアクシデントによって、旅が印象深くなることはあることです。むしろ思い出すのは写真に残した史跡名勝・風光明媚よりも、途中のイレギュラーばかりです。ただ2泊3日の旅の事なら、時ともによき思い出と変わっても、人生の予定変更は悔いの種ともなりかねません。実際、自分の病によって、家族の病によって、置かれた状況によって、自分の限界や弱さによって、予定は変わるし、これまでも変わってきました。きっと、そうならざるを得なかったのです。▲そんな省みの中で読む16章の慰めは、やはり上記の言葉です。「聖霊から」、「イエスの霊が」…。この変更の道に、他でもない神の召しや導きを覚えることができるようです。その道には主イエスがおられます。それを知り得るのは信仰者の幸いです。悪いことが起きているのではありません。そう、悪いことが起きているのではありません。




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