巻頭言
2020年5月


2020年5月3日

「この地の喜びをもって」

犬塚 契牧師

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。     <ヨハネによる福音書21章1-14節>

ヨハネ福音書の最後の章です。その書物のエピローグは、湖畔でのバーベキューの記事でした。しかし、思い出せば、その始まりは、実に深淵で、詩的、哲学的、神学的な書き出しだったのです。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。…」まるで、「初めに神は…」で始まる創世記の刷新のようでした。しかし、プロローグは、牧歌的なバーベキューなのですか…。執筆途中で、力尽きたのではありません。これがよい物語なのです。天地創造からクリスマスまでの歴史を見渡し、一息に吸い込んで、1章を刻んだヨハネは、21章においては、これから紡がれていく出来事にありったけの希望を込めたのです。▲弟子たちは、地元ガリラヤに帰ってきています。エルサレムでの復活の出来事との時の隔たりは分かりません。分かるのは、地元での宣教も生活も楽ではなかったということです。宣教の言葉も整わず、生活もままならず、リーダーペトロは、いよいよ決断します「わたしは漁に行く」。そして、みんなで出かけたのです。しかし、不漁でした。湖畔で獲れたての魚を待つお客さんが声をかけます。「何か食べ物があるか」。みじめな心持で、大声を出すのはきっと面倒なことでした。しかし、向こう岸に答えます「ありませーん」。それで、次に客は大声で指示を出します。「船の右側に網を打ちなさーい」。船と岸の距離は90m。大きな動作で漁をして、面倒な客には、あきらめてもらうしかありません。今日は獲れない日なのです。しかし、その客は主イエスであり、その朝は、大漁となりました。▲「コーチング」というクラスで、講師は、そのポイントを5つの質問で表現してくれました。@今、うまくいっていることはなんですか( what working?)A今、うまくいっていないことはなんですか。(What not working?)B学んでいることはなんですか。 (What are you learning?)C変わらなければならないことはなんですか (what needs to change?)D次のステップなんですか。(What are the next steps?)有益な質問だと思っています。「ティーチング」は教えることでしょうか。「コーチング」は本人の主体をさらに生かすのだと言います。相談を受ける時、この質問をよく投げかけています。しかし、試してみると@の質問から躓くことが多いのです。「今、うまくいっていることはなんですか」「ありません」。即答されます。そして、ガリラヤ湖での弟子たちが浮かんでしまいます。いや、その顔は、日常で恵みの数え方を知らない自分です。「ありません」そう答えています。だから、ヨハネ福音書21章のエピローグにとても慰められるのです。「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。」▲獲れない漁、行き詰まりの日常、汗のにおい、面倒くささ、根深い不安感、空気を濁る不機嫌…それらは、もう日常です。「弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」。もうこれで十分だろう…いいえ。主イエスは、もう三度も…、四度も、五度も…百度も、千度も、何度でも、その場面に付き合ってくださるつもりです。そして、そのように守られてきたと思うのです。復活の主イエスが、今日も伴いたもう。だから安心して、福音書を書き終えることができたのです。深遠なプロローグと日常のエピローグは、やはり余すところなくよい物語を伝える福音です。



2020年5月10日

「主よ、なぜ天へ」

犬塚 契牧師

さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」 <使徒言行録1章3-11節>

「筑豊に隣人ありて」という番組で、カネミ油症事件の被害者であり、裁判の原告でもあった紙野さんの言葉を知りました。紙野さんが運動の中で続けてきたシュプレッヒコール。「健康を返せ、家族を返せ!」しかし、途中から、それがもう言えなくなったと。曰く、返してもらっても、また同じ自分に戻るだけだと。カネミ油症事件の前に、すでに水俣で苦しんでいた人たちがいたのに、自分は無視していたのに気づかされたのだと言われます。そして、公害闘争は、他ならぬ「悔い改め闘争」だったと。▲もちろん、コロナウィルスは公害とは違うでしょう。しかし、コロナ前後で、同じ景色が取り戻せるでしょうか。見えないウィルスとの闘いと飛び交う情報、「緊急事態」という表現によって、離れた人間の距離と傷ついた心は、容易く癒えるものではないでしょう。人を見る目が変わってしまいました。人を思う心が変わってしまいました。「いのちを守る」という伝家の宝刀の下で、行き過ぎた言説や自粛が生活をささくれだったものにしてはいないかと思うのです。それまで「いのち」がすでに脅かされていた人たちのカウントは、ずっと対岸のものでした。いよいよ見えない迫りの中で、波が足元まで来て、いのちのカウントが全国ではじまりました。しかし、数え方は今、施政者のさじ加減ひとつです。その中で使徒言行録1章の言葉を読んでいます。▲復活の主イエスに弟子たちは尋ねます。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」。「建て直す」とは、「もとどおり」という意味があり、終末論的用語だと読みました。それは、弟子たちなりの…それでも、いのちの脅かしを知る民族のその存在をかけた懇願であり、ありったけの危機感と共に終末の約束としての希望も含めたものでした。ただ単に新しい国の自分の出世コースを心配してのことではなかったと思います。主イエスは、建国の意思がないなら、そう言えばよかったのです。出馬の予定もこれからの蜂起の計画もないなら、はっきりと否定すればよかったのです。「あなたたちは、大きな勘違いをしている。あなたたちが描くような新しい国の王に、わたしはなるつもりはない」とでも。しかし、言われたのは、こういう言葉でした。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。」それまでの期間は、あなたがたが知らなくてもよいのだと。この言葉は、繰り返し読むと響きが変わってきます。まるで、子どもにプレゼントを用意した親が、包装紙の中身を先に言わないような返答です。「建て直してくださるのは、この時ですか」…「なるほど、その通りだ。その存在をかけた問いかけは、よくよく分かる。もっともな願いだ。しかし、それはしばらく預りたい。そして、改めて、わたしからお願いがある。」そういう場面に思えます。「また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」主イエスは、聖霊の働きによって、弟子たちが証人として立つのだと言われました。痛みの場エルサレムから、反旗を翻したユダヤ、敵地サマリアへ、そして、地の果てや地の底を生きる人々にまで、届く言葉を携え行くのだと願われました。人間業ではできないことです。ただ、いまや昇天した主イエスは、住まいを変え、さらに下に、さらに低く、さらに深くさらに近く、信仰者の内におられることを望まれました。感じる、感じないではなく、気分でも、憑依でもなく、身を振り返り、醜悪の家を片付ける間もなく、驚くべき提案に、ただ膝がおるばかりです。その中で、「お言葉通りこの身になりますように」と祈りたいと思います。 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなた方はもはや自分自身のものではないのです。(Tコリント6章19節)



2020年5月17日

「炎のような舌」

犬塚 契牧師

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 <使徒言行録2章1-10節>

キリスト教会3大イベント。クリスマス、イースター、ペンテコステのうち、なんだか力が入りにくいのがペンテコステでした。12月のクリスマス商戦は、昔から盛んで、教会よりも先に町が賑わいます。驚きは、イースターで、最近は百円ショップにもデコレーショングッズが並ぶようになりました。少し前までは、キリスト教書店でしか手に入れられなかったのに…。ならば、ペンテコステもこれから…?▲主イエスキリストから約束された聖霊が与えられた日であり、教会の誕生日といわれます。確かに2章の始まりの激しさと対照的に2章の最後は当時の教会の様子、信者たちの生活が記されその姿は貴重です。そしてまた、世界宣教のキックオフの宣言でもあるようで、当時の全世界を網羅するような地名が並んでいます。しかし、ペンテコステに起こった不思議を上手に理解できずにいます。激しい風が吹くような音と炎のような舌と多言語・異言のような奇跡。昔は、英単語を綴っていた時に、この2章を読んでとてもうらやましく、うらめしく感じたものです。▲あらためて2章を読み、また「炎のような舌」をイメージしました。かつては頭上の「火の玉」のような理解でした。もう少し分け入ってみて、想うのです。舌→牛タン→タン塩→(戻って)→タン→TONGUE→言葉→言と。そうか、与えられたのは、「舌のような炎」ではなく、「炎のような舌」であったと。▲言語は、国ごとに違うのではなく、家族ごとに違うのではないかという言語学者を知りました。きっとそうなのだと思います。しかし、コミュニケーションの難しさ、下手さに、もうそれぞれに違うのではとも感じるのです。個々人に与えられた言葉の違い、いやまだ言葉にすらなっていないこともあるでしょう。限られた言葉では言い尽くせない思いもあります。人にも自分にも言ってはならぬ類のものもあり、人には聞いてはもらえぬやっかいなものであったり、しつこさがあったり、聞かせてはならぬ醜さを含んでいたり、一体ひとりひとりの用いている言語は、何語といえばいいのでしょう。若い時に通った牧師が説教の途中に言いました。「人は皆、今日は誰か分かってくれるだろうと思って朝に目覚め、人は皆、今日も誰もわかってくれなかったと眠りにつくのです。」牧師のキャラクターから、それが結論だったのではなかったと思いますが、覚えているのはその言葉です。人とは、とても孤独な存在なのですね。そんな心の持ちの中で使徒言行録2章を読んでいます。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」多言語の奇跡は、使徒たちがバイリンガルになったことの驚きではありません。労せずして言語習得したことが奇跡なのではなく、私たちの生きるところに―それが地の底だろうが、地上だろうが、天の上だろうが―神の言が響き得るとの希望です。「意識は一所懸命に悩むわけですけど、そういうコトことばを受けるもっと深い所が人間にはあるんです。それでなきゃ、受け取れないんだから」(押田成人「祈りの姿に無の風が吹く」)▲ことばを知らぬ者に、ことばにできぬ者に、どうか主イエスの遣わしてくださる助け主が、神の言を知らしめてくださるように。それがペンテコステの私の祈りです。



2020年5月24日

「美しい門にて」

犬塚 修牧師

ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て『私たちを見なさい』と言った。 <使徒言行録3:1〜10>

ペトロは少し前に、人生で最大の危機と悲しみを体験していた。こともあろうに、「生涯の主」と信じて、熱心に従ってきた主を見捨ててしまったのである。これは彼の心に深い傷跡となって残り、一生の間、苦しみを背負う事になると思われた。しかし、そうはならなかった。彼は全く変えられたのである。彼はさらに力強く、たくましく、愛の人に成長していた。以前のペトロは、自意識過剰な一面もあった。また我力に頼むところもあって「自分がこう思ったのだから、別の意見など聞かない」という頑固さもあった。ところが、今、彼は柔和で、寛容な品格を身に付け始め、更に自分の命を神に委ね切った愛の使徒と変えられていた。▲それは、一重に主イエスご自身が、苦しむペトロに近づき、完全な赦しを与えられたからであった。彼は罪が赦された「無罪放免」の自由人となり、あらゆる束縛や罪意識から全く解き放たれた。その喜びはコンコンと湧き出る清い泉のようなものとなった。ペトロは自分の人生を、引き算で失敗を数え上げる事なく、たし算で神の恵みと赦しを数えて生きる決意をした。▲さて、ペトロはエルサレム神殿の「美しい門」と呼ばれていた場所で、生まれつき足の不自由な男と出会った。彼は物乞いであった。そして、その日も普段どおりに、金銀をもらおうと哀願した。ペトロは彼をじっと見つめたが、その目は深い慰めに満ちていた。彼は長年の男の悲しみが、痛いほど感じられたからである。ペトロの「私たちを見なさい」の「私たち」は見事な自分ではなかった。むしろ、何もない自分、金銀はなく、誇るべきものが何もない弱すぎる程に弱い自分であった。それでも、ペトロはそんな自分にも、イエスの愛は惜しむ事なく、注がれている事を知っていた。たとえどんな心の状態になっても、神は共にいて下さると信じていた。中国伝道に命を注いだハドソン・テーラーが重篤になった時、心の不調に襲われ、祈る事も、聖書を読む事もできないという心の暗黒状態に陥った。その時、彼は何もせず、すべてを神にゆだね、ひたすら眠る事だけをした。幼子のようになり、無力なまま、一切を神の永遠の腕に任せてしまった。それが彼の心を再び立たせたのである。▲ペトロは男に対して「私のあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの御名によって立ち上がり、歩きなさい」と宣言し、彼の手を取って立たせた。男は立ち上がり、踊って歓喜に満ちて、歩き出したのである。歩くとは、歩行運動というよりも、自分に与えられた唯一の人生を生き切る事、そしてイエスに従う日々の生活を意味している。彼の悲しみは過ぎ去り、ペトロと共に神を賛美して生きる喜びの新しい人間となったのである。



2020年5月31日

「その香今や世界の隅々に」

犬塚 契牧師

サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。             <使徒言行録 8章1-8節>

イエスキリストによって示された神の本音が、世界に散らされていくきっかけが8章に書かれています。教会の執事の一人ステファノがユダヤ人の指導者たちの扇動によって、石打で殺されてしまいました。なお勢いづいた人々は、エルサレムの教会に対しても迫害を加え、キリスト者たちは、散ることになるのです。どんな様子であったでしょうか。戦争、内戦、民族的迫害で住む家を失った人たちの写真や映像を見たことがありますが、近い様子だったのでしょうか。2011年3月、日本においても、原発事故により、放射能の恐怖の中で、最小限の荷物をまとめ避難を余儀なくされた方々がおられます。その不安感は、想像することもできません。2000年前の「…散って行った」人々の苦労があったことと思います。書かれたままに読むと、使徒たちはエルサレムに残りました。散らされたのは、外国出身のギリシャ語を話すユダヤ人たち(ヘレニスト)だったようです。使徒たちが残ったのは、教会を守る強い決意のゆえでしょうか、それとも律法に拘泥したユダヤ民族主義的な迫害であって、使徒たちにはその手は及ばなかったと理解できるでしょうか。または外堀から埋めるかのごとく、信徒たちを散らせば自ずと教会は崩れるという目算でしょうか。理由は何にしろ、使徒たちに虚無感、無力感があってもおかしくはありません。方や、ステファノを丁寧に葬った信仰深い人々がいました。石打にあった犯罪人には、触れてはならないという掟を破り、権力者の意向に背き、自分の命を省みずの行動です。公開で行われたステファノ裁判の様子とその後のリンチのような処刑を見ながら、何もできませんでした。しかし、どうしてもこの暴挙が許せませんでした。せめてもの行為です。そのステファノの同僚たちは、その葬りに参加できずにユダヤ・サマリアに散っています。数世紀前から確執が残るサマリアに逃げたのは、ここまでは追ってこないだろうという算段があったのだと思います。そして、サウロ―パウロ。これが神の前に、正しいのだと信じながら、黒歴史を続けるパウロの姿があります。▲書かれている以上に、読み取れる以上に、傷んだ人々の姿が浮かびます。エルサレムに残った使徒たち、散ったキリスト者たち、泣く泣く葬った人たち、迫害するサウロ…。使徒言行録(使徒行伝)が、「聖霊行伝」と呼ばれているのは、知っています。使徒たちが、語り、行き、行ったことに見えて、その背後に聖霊の働きをあるだと。その通りだと思います。起きている出来事は、人には到底、続きが描けないことばかりです。人の見えない先ばかりです。▲「信仰はなくなりそうなところから始まる」と少し前に読みました。よく思い出す言葉です。否、思い出すだけでなく、繰り返しています。恵みを数えられぬ時、希望が気休めにも響かぬ時、不安がしつこく消えぬ時、信仰がなくなりそうな時、信仰がなくなった時、そのままを主イエスに祈ります。「とても残念なお知らせがあります。どうやら私の内を吟味し、正直にお伝えしますと、信仰がないようなのです。」▲もし本当に「信仰はなくなりそうなところから始まる」のだとしたら、そこからまた次の半歩があると思ってよいでしょうか。使徒言行録…その全体を見れば確かに絶妙な神の計画が進行しています。それでも当事者たちには理解が及ばなかったでしょう。「どこで間違えたか、どこからボタンを掛け違えたか、道を誤ったのはいつからか、やり直しはできるのか、お終いなのか」様々なIFが浮かんでは消えていきます。しかし、しかし、私たちが描けない先を、とても続かない先を主イエスを遣わされた神は、描くことのできる神なのです。聖書は、創世記から始まって、その証言です。▲「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」起きている出来事と、していることのギャップに驚いています。「涙ながらに歩いた」などが、しっくりくるのではないでしょうか。人が行き詰まりに、神は続きを描かれます。




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