巻頭言
2008年5月


2008年5月4日

「十字架・復活・変化」

牧師 犬塚 契

イエスが教えたのは、わずか3年間。蔑まれていた低層階級 と中層階級からは支持を受けたが、その影響が権威者との確 執を生み、十字架に架かった。もっとも呪われた極刑であり 、恥以外の何にもなりえなかった。それでも、一世紀に十字 架刑になった人々は3万人。イエスもその一人に過ぎない・・・ はずだった。しかし、イエスの死後5週間で、「クリスチャ ン」になった人は膨れ上がり、1万人に達した。彼らは、何 をしたのか。一人の犯罪者を十字架にかけたのも彼らだっ たが、「何か」があって、彼らはイエスを信じる者になっ た。彼らが長い伝統と律法を覆した5つの変化
@ユダヤ人たちは、アブラハム、モーセの時代から、毎 年罪のいけにえとして動物を捧げることを守り、教え続けて きた。人間の罪を動物に転嫁し、罪が赦され、神の前に正し くなるとする儀式だった。しかし、イエスの死後、突如とし てこの儀式を行わなくなった人々がいた。
Aユダヤ人は律法に従うことを重要なこととして位置づけて きた。律法によって、ユダヤ人と異教の国々とを分ける大き なポイントだった。しかし、イエスの死後、あるユダヤ人た ちは単に律法を守るだけでは正しく生きることはできないと 主張し始めた。
B毎週土曜日にユダヤ人たちは祈りを除いて何もせず、安息 日として固く守ってきた。しかし、イエスの死後1500年も続 いたこの伝統が突然、覆され、日曜日に礼拝を始めるように なった。
Cユダヤ人は神が唯一であることを信じていた。しかし、イ エスと聖霊をも神として、三位一体の神であることを信じ始 めた。異端といわれることを恐れず、信仰を守り通した人々 がいた。
D待ち望んだ救い主は、「政治的指導者」だった。しかし 、イエスの死後、「救い主」とは、世界の罪のために苦しみ 、死んでいく人物であると説いた。
一人の十字架で死んだ犯罪者を自分の救い主とするには、 「重大な何か」がなければならない。大きな転機、仰天する 出来事、それも自分の命を賭してまで惜しくない「何か」が なければならない。死からよみがえった体をイエスは彼らに 現したのである。



2008年5月13日

ペンテコステ礼拝を迎えて

牧師 犬塚 修

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突 然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが 座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分 かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 使徒言行録2:1〜3

ペンテコステ(五旬祭、聖霊降臨日)は主の弟子達が聖霊に 満たされ、この日以来、驚嘆すべき神の働きが現されるよう になった教会の誕生の日です。クリスマス・イ−スタ−と共 に重要で記念すべき礼拝です。
@ 定められた時の出来事---------ペンテコステの 日は過越祭から50日目にあたります。その日は49日や、 51日ではありません。聖霊の降臨は神が定められた特定な 日に起ったのです。神のめざましい業は神が定められた時に 成就します。神による鮮やかな救いは確実に起こりますが、 自分の願いのままではなく、神の選びの日までとっておかれ ます。従って、我々に求められる信仰の資質は忍耐と希望で す。み業が遅すぎると悲しみ、心を暗くなったりせず、耐え 忍びつつ、祈りに専念しましょう。
A 一つの所に集まる----------弟子たちは集まり、語 らい、祈りあっていたその時間帯、その場所に突然、聖霊が 下られました。彼らが心を一つとして、彼らの教会に集まっ ていた事が非常にすばらしい結果をもたらしたのです。家族 はできるだけ多くの時間を共有します。食事も共にします。 その一つ一つが積み重なって、大きな起爆力となるのです。 心が一つになるには、献身的精神や行動が不可欠です。共に 集まり、お互いに頼りあいましょう。その時から、私たちは 聖霊のみ業に参与させられるのです。



2008年5月18日

「シャローム」

牧師 犬塚 契

その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。 マタイ10:12

その時々に心がどのような状態にあるのかを知り得るのは なかなか難しいことなんだなぁと思う。顔についたご飯粒 や衣服についたホコリも鏡の前に立てば、映し出されるが 心はそうもいかない。▲久しぶりに電車乗った。パスモを 使ったのは初めてだった。持っていった本を読んで気にな った一文。「アルコールやセックス依存症の人々証明して いるように、低級な神に忠誠をささげると、自分が苦しむ ことになる。一週間に七日働くと肉体がその代償を払う。 殺人は当然、別の人間を害するが、殺人者にもその代償を 強いる。良心を麻痺させ、魂を惨めな状態に追い込むのだ 。」(「もう一つの世界からのささやき」)より▲ほら、 刺激。ほら、ほら、次の刺激。ほら、ほら、ほら、次の刺 激。いつでも刺激され続け、なんだか、心が落ち着いて、 ほっとするようなことがないように思った。そして、気付 けば魂は孤独で震えた惨めな状態にあるのだと。シャロー ムとは平和とか平安、救い、安全などの意味を持つヘブル 語で、その意味から老人ホームやペンション、保育園など の名前によく登場する。比較の中では優越感は生まれても 、シャロームは生まれにくい。心にシャロームがあるか常 々チェックするようにしている。心が他の神に従うとき、 シャロームは失われていくものなのだ。▲上記の聖書の言 葉、シャロームは挨拶であり、何よりも私たちの祈りであ る。





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