巻頭言
2007年5月


2007年5月6日

「小さな信仰告白…〈心のコエンザイム〉」

牧師 犬塚 契

「心のコエンザイム」というメールマガジンが巷で評判!かどうか はわからないけれども、ふじみ教会の青年たちが週に一度告白する 信仰を読んで、携帯電話を前にして嬉しくなったり、考えさせられ たり…。以下のような感じでメールが届きます。「そうかぁ、今そ ういうところを生きているんだなぁ」と励まされること多いです。

「こころのコエンザイム」第4号 2007年4月28日 受信御礼!!  今週も宜しくお願いします!! GWでも休まず発刊!
【契の一語一会】 「私たちが獲得できるのではないかと望める唯一の知恵は・・・」
【英語de賛美!】byあやね お元気ですか?先日、ある姉妹と二人で一つのパフェを取り合って …いや、分け合って食べました。(顔に似合わず)大食いの私たち でも食べきれないほど大きなパフェでした!・・・
【マコトのバイブルタッチ】 しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう」 ルカ11章8節 みなさんは「しつように頼む」ことをしたことがあ りますか?私は小さい頃にイタズラをして・・・
【のぞみの「今日もハレルニャー(=^・^=)」】 『さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。』 (ルカ6:37)毎日、仕事をしていてこの御言葉を思わない日はあり ません。それほど人をさばいてしまうことが多いのです。・・・
【さとしのぷぅ!】 テレビでお馴染の経済評論家、森永卓郎さんは筋金入りのコレクタ ーとしても知られています。・・・

当メールマガジンへのご意見ご要望、投稿希望などご希望 の場合は lkjhg4759@ybb.ne.jp  までご連絡下さい。また、新規 読者随時募集しております。当アドレスまでメアドをご連絡くださ い。〜〜〜〜 
発行/編集 こころのコエンザイム事務局 発行人   事務局ひとり 



2007年5月13日

「教育ときよめ」月間を迎えて

牧師 犬塚 修

正義と公平を行うことは、犠牲にもまさって主に喜ばれる。 箴言21:3

休暇を頂き、北海道に行ってきました。また北海道大学の総合博物 館に入館して、いろいろと考えさせられた事は大きな学びでした。 北大の前身は札幌農学校であり、その教育理念となる精神的土台は 熱烈なキリスト信仰です。今から約130年前、教頭として米国か ら招かれたW・クラ−ク博士は、8ケ月間の教育活動を終え、島松と いう峠で有名な「ボ−イズ、ビ−・アンビシャス!(少年よ、大志 を抱け)」の一言を残して、帰国しました。今回、この人物がキリ スト信仰に燃える熱烈な教育者であった事実を改めて知りました。 ようやく新しい夜明けを迎えたばかりの日本を高く評価し、暗黒の 封建主義や不平等な身分制度の克服を祈りつつ、どうしても日本に は自由と自立心、独立心を育成するキリスト信仰が不可欠と、命が けで叫びつつ実践した人でした。彼自身、自国の南北戦争の北軍の 兵士となり、奴隷制解放のために戦い「自由が学問や道徳の母であ る」という理念を抱いたのです。教育とはキリストをモデルとして 生きる事であり、また「紳士たれ」の一言で、無用な規則には囚わ れない生き方を示しました。今回得た学びの収穫の一つは、いろい ろな資料を見ているうちに、クラ−クは「フォ−・クライスト(キ リストのために)」大志を抱け」と叫んだに相違ないと確信した点 です。教育の目的が的外れであった事が、その後日本がたどった歩 みに暗く不気味な影を落とします。真の神から離れた野心は危険な のです。



2007年5月20日

「至急!!」

牧師 犬塚 契

主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。 この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。 列王記上19章

より高い建物、より早い乗り物、より効率のいい作業法、よりスピ ーディーに…。だいたいが至急だ。▲モーセの歩みを思い出す。モ ーセには王子として40年過ごした後、ホームレスとして40年を 過ごす。そして、彼の人生はそこからだった。▲荒野での40年、モ ーセにとっては、自分の人生があきらかに不毛に映っていた。だか ら、息子に「ゲルショム」(根無し草)と名づけた。エジプトでの きらびやかな着物、堪能に操る言語、豊かな食卓を懐かしく思い出 しながら、今自分は田舎で人の羊を飼っている。そして、このまま 静かに老兵は去るはずだった。▲人間が、自分で思う以上に強情で あり、自己中心的であり、変化に乏しく、臆病で、希望よりも絶望 に逃げる方が多いことを、自分をみてもわかる。モーセもそうだっ たかもしれない。だから、40年も研修が必要だった。1万日もの 繰り返しが必要だった。それでも、神にとってはなくてはならぬ一 日一日だったことをモーセは、シナイに向かう荒野の40年で知っ たことだろう。▲昨日は、調子よく順風満帆で人生波乱バラ色に見 えた。今日は一日布団から出たくなかった。昨日、今日で一喜一憂 するのに、忙しすぎるように思う。人生長い目で見よう!と呼びか けたいのではなく、起きてくる出来事の後ろに神の手の届かない者 がないことを知りたいのである。▲「死よ、お前の勝利はどこにあ るのか。」と死にすら勝利宣言する神の前に私たちの歩みがある。



2007年5月27日

「ペンテコステ礼拝を迎えて」

牧師 犬塚 修

神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。す ると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を 見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注 ぐ。すると、彼らは預言する。    使徒言行録2:17〜18

1952年5月26日、矢内原忠雄は歴史的な演説をしました。その要旨 は「明治時代の初期、日本には二つの道があった。一つは○○大学 の道、他は札幌農学校の道であった。そして、政府は前者に傾いた 。その結果、日本は太平洋戦争の道に突入していった。…」おそら く矢内原の胸に去来したものは、当時、朝鮮戦争の只中にあった日 本が、再び残忍な軍国主義に立ち戻ろうとする旧思想に対する危惧 の念と抵抗の精神にあったと思います。「富国強兵」「八紘一宇」 というスロ−ガンを掲げ、アジアの侵略に向かった日本、もし、札 幌農学校の建学の精神を重んじ、他者に仕え、愛神・愛人という平 和の思想に歩んだならば、成長は遅くても、世界に貢献できる新生 日本の歴史が築き上げられた事でしょうか。しかし、そうはなりま せんでした。思想の自由、信教の自由、自主、独立の気風は聖書の 精神から生み出されたはずでした。国民が臣民と呼ばれ、恐怖政治 の中で、次第に奴隷化していく悲しみはなかったでしょう。「器械 的人間の出現」(武田清子)はなかったでしょう。その恐ろるべき 悪影響は今も持続しています。札幌農学校のクラ−ク博士が日本の 青年に伝えたかった思想は、聖書に基づいた自由と平等の精神の涵 養でした。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由に する」(ヨハネ3:32)クラ−クは神の栄光をあがめ、歴史のかなた を夢見ました。ペンテコステ礼拝を迎えた私たちはクラ−ク、また その後、その継承者の内村鑑三たちが掲げた松明を高く掲げて、聖 霊の息吹に触れた者となり、神の国の実現のために、大きな夢と幻 を描き、共に戦って生きたいものです。キリストにあって、偏見や 差別、不平等と抑圧と戦い、あらゆるものからの真の自由人、また 誠実な教会人となって、共に立ち上がりましょう。





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