巻頭言
2013年4月


2013年4月07日

「枯れた骨よ」

犬塚 契

 主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。    エゼキエル書37章2-4節

 イエスキリスト誕生の500年前、預言者としての使命を与えられたエゼキエル。彼が幻の中で、神によって、谷に導かれ見せられたのは甚だしく枯れた骨だった。神はエゼキエルに問うた「これらの骨は生き返ることができるか」。膨大な骨の山を前にして、預言者エゼキエルの胸に込み上げるものは何だったのだろう。預言しても変わらない国と人との現実があらためて思い起こされたか、働きの一切が徒労に思え虚しさが蘇ったか…。実際、白骨を前にどんな言葉が可能なのだろう。そして、おそらくは絶望の中でエゼキエルは答えた「主なる神よ、あなたのみがご存知です」。私たちは自分の人生にふと誤作動が起きるまで、真のいのちの所有者を確認することがないような高慢さを持っている。思うにエゼキエルのこの応答は彼の語れる限りの告白だった。そのエゼキエルに神は、なお預言するように命じた。「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」と。生身の人間に語っても難しいのに、骨に語れとは神のなさることは酷にも思えるが、それでもエゼキエルは語りにくい預言をした。聖書は後に起きたことを残している。「わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。」▲「これらの骨は生き返ることができるか」とイースターは問う。イエスキリストの死と復活を知らされた私たちは、神が死を勝利させたままでいる予定がないことを信じる。そして、エゼキエルよりもさらに希望をもって答えることができる「主なる神よ、あなたのみがご存知です」と。



2013年4月14日

「夕に朝に」

犬塚 契

 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。・・・夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。・・・朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。・・・」                 マルコ1章29-39節

 教会学校で学んでいる連盟発行の聖書教育からの聖書箇所。夕方から始まるユダヤの一日で、イエスキリストが過ごされた一日のスケジュールがわかるような聖書箇所。まずペトロの奥さんのお母さんの熱を癒し、夕方に安息日が終わるや待っていた人々が癒されるために押しかけた。その応対には多くの協力と犠牲があっただろうし、それは深夜に及んだであろう。次の日の朝は、暗がりの祈りから始まり、「みんなが捜しています」との声で次の宣教地へと向かった。▲最初の言葉の「すぐに」とはマルコが好んだ言葉だそうで、時間的、距離的近さを表している。マルコ福音書が書かれたのは、キリスト復活の30-40年後。書きたかったのは、「昔はよかった」の回顧の福音書でなく、「すぐに」には、今もって伴われるキリストの臨場があったと思う。一つ一つの地上のイエスの出来事を記すのは懐かしんでのことでなく、今日を生きたもうイエスキリストへの信仰を刻んでのことであった。きっとそれがどこまでも必要だったのだ。▲礼拝で「歌え歌えキリストの愛を」と賛美した。小学校生活を過ごした旭川の教会に、札幌教会の人たちが伝道隊を派遣くださり、この賛美を繰り返しくれた。この賛美の出来たてだったのだろう。その時は、「歌え」という命令と声量の迫力に驚いた。いまあらためて賛美すると「歌うしかない」という言葉が自分の心に加わっているのに気づいた。もう少し進んで、それでも「キリストの愛は、歌えるのだ」という世界に目を向けさせてくれる。



2013年4月21日

「喜びの中を」

犬塚 契

 ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」と言った。ヤコブは激しく怒って、言った。「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」・・・そのときレアは、「なんと幸せなこと(アシェル)か。娘たちはわたしを幸せ者と言うにちがいない」と言って、その子をアシェルと名付けた。  創世記30章1-13節

 やがて・・・私たちの信じる神は、どうされるおつもりなのだろう。イースター以後に久しぶりにあった友人牧師との会話で、「やがて」の話になった。その中で、「天国にあるのは、完全なコミュニケーション」と聞いて、その言葉が心に残り、なんだか憧れをもらった。▲創世記30章は、ヤコブと二人の妻レアとラケルのそれぞれの葛藤が描かれる。結婚までの経緯によってか、姉レアを愛することができないヤコブ苦しみがあり、夫に愛されながら子が与えられない妹ラケルの妬みがある。どうすることもできない怒りは、相手に逃げ場を与えない言い方となって表れてしまう。「わたしが神に代われるというのか」。なんだか不完全なコミュニケーションを「朝の連ドラ」でなく、3800年も前の家族の姿にみる。それでも、直接的には神ご自身を登場させずに、この家族に対するその導きを創世記は描いている。取り繕り切れない人の有様と出来事ひとつひとつ、ひとりひとりへの神の取り扱いを知る作業は、同様に今日を生きる私たちへの励ましと慰めになるだろうか。▲「裁き」と「争い」を子どもの名に込めたラケル。顔美しく、容姿も優れ、夫に愛されながらも妬みと競争意識がなくならないラケルに対して、レアにはどこか神の臨在への手ごたえと委ねることへの取り扱いの中にあった。愛されないレアが、「なんと幸運な」「なんと幸せな」と子に名をつける。はるか昔を生きた女性から教えられる。日々の神への賛美と信頼は、不思議な逆転を静かに起こす。神が望まれる「喜びの中を」生きたい。



2013年4月28日

「神の力に支えられて」

犬塚 修

 神はおくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。 テモテへの手紙U1章3〜14節

 V.フランクルはアウシュビッツの強制収容所で絶望的状況に追い込まれたが、奇跡的に救出された実体験を「夜と霧」という著書に書き残した。その中で安易な希望と真実な希望について述べている。前者は自分の思い、願望、計画を最優先してしまう希望であるが、いつしか挫折し失望落胆に陥り死に至るケースが多い。一方後者は神の意志、聖なるご計画に従う勇気と忍耐を併せ持っていて命に至るものとする。私達の希望は「不滅の命」(10節)に通じるものでありたい。この希望と信仰は過去における神の恵みの系譜に心を向けるところから生まれてくると言えよう。「その信仰はあなたの祖母ロイズと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っている」(5節)とある。それは血縁的なものというよりも精神史的面でも言えることである。16世紀に出現したドイツのマルティン・ルターはウイッテンベルグの町において宗教改革の松明を掲げたが、その「純真な信仰」(5節)は約200年後近隣にあったライプチヒの音楽家S.バッハに受け継がれていった。まさしくバッハはルターの信仰の継承者であった。私たちも正しい信仰を受け継ぎ、それを後世の人々に伝える使命を与えられている。「純真な信仰」とは主以外何者も恐れず、ひたすら信じ従う信仰のことである。自分が今ここに存在しているのは、自分の思いや計画によるのではなく「私達を救い、聖なる招きによって呼び出してくださった」神によることを確信することが大切である。万一自分の意に沿わない苦しみや悲しみ、また絶望的状態に陥ってしまったとしても、そこにも神の偉大な力とご支配があると信じて疑わないことである。パウロは自らを「主の囚人」と呼んでいる。囚人は不自由さと悲哀を身に帯びている存在であるが、その中に主のすばらしい力は発揮されていくと知っていたのである。何者も恐れず信仰と希望を愛に生きていきましょう。





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