巻頭言
2010年4月


2010年4月4日

「低き所へ」

牧師 犬塚 契

わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。「あなたのうちに平和があるように。」 詩編122編

スーパーですれ違っただけだった。けれども、すぐに歩き方がまっすぐでなく、足の不自由な少年だと気がついた。一緒にいるのはお父さんとお兄さんか。まっすぐに歩けないだけでなく、顔にも障碍あった。少年とすれ違う人は必ずギョッとして、彼の顔を一度はまじまじと見つめた。恐らく長いこと彼はそんな視線を受けてきたのだろうと想像できた。それは、必ずしも冷たい視線ではなかったとしても、「どうして?」「どうしたの?」の視線は心地よいものではないように思う。私たちは、買い物カゴに必要なものを入れて、レジに並ぶとその家族も後ろに近づいてきた。同じレジに並んだ。妻に抱かれたのぞみを見て、その少年が言った。「か わ い い」。びっくりして、少年を見た。間が空いたが、かろうじて「ありがとう」と返すことができた。今までで一番嬉しい「かわいい」だった。おおよそ、そんなこと言ってくれるなど想像できなかった。なんと豊かに生きているのだろうと思った。▲余裕のある者が、高いところにいる者が、ゆとりを持つ者が、人を祝福するのは時にたやすい。しかし、そうは見えない者が祝福の言葉を語れるとしたら、そこに恵みが流れているからだと思う。そして、時々おこぼれをいただく。▲健常な者、元気な者、ハツラツな者だけの世界だったらみんな競争で味気のない殺伐とした世の中であったと思う。しかし、弱さを持った人が歩みを教えてくれるおかげで時々恵みを見ることができる。スーパーでも、運転中でも、エスカレーターでも、電車でも、時々恵みを見る。余り強がって生きなくてもいいんだと教えられる。…でようやくペースを落とす。



2010年4月11日

「イースター礼拝 先週の説教要旨」

牧師 犬塚 契

わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。 Tテサロニケ4章

身近な人々が死を迎え、残された者が寂しさを感じる中で「復活がないと困る」と書いたのはフィリップヤンシーだった。信じた、確信した、絶対ナントカという表現でなく、「ないと困る」という切実な祈りや神への懇願に近い信仰の告白にその言葉を何度か読み返した覚えがある。パウロもコリント教会への手紙で同じように語る。「キリストが復活しなかったのなら…わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。」▲ボンヘッファーは「死者はどこにいるのか」という説教の中で、旧約外典の知恵の書の「ところが彼らは平和のうちにいる」という箇所を参考に、私たちはこのような事柄に直面しては、子供以外の何者でもないし、それ以外の者でありたいとも思わないと語る。そう、私たちは幸い神ではない、何も知らない者である、しかし、知らないが故に押し黙った沈黙でなく、幼稚な言葉で、単純に語っていいのではないかと。『うれしい時には、子供のようになるがよいのだ。・・・「母がその子を慰めるように、わたしもあなたがたを慰める」(イザヤ書33章)』。ならば、そこには信仰告白が生まれるのだと思う。Tテサロニケの4書のパウロが表現した再臨のイメージは、パウロの信仰告白ではなかったか。圧倒的力をもって神側から迫る再臨のリアリティーはパウロの伝道の源を支えたと思う。▲全部は知らない。わからないこともある。それでもいくつかの手がかりをいただいて、私たちも信仰を大胆にも楽しく嬉しく告白するものでありたい。イースターはそんな時だと思う。「わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない。」ヨハネ14章。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」ルカ23章。



2010年4月18日

「なぐさめのあるところ・・・先週の説教要旨」

牧師 犬塚 契

このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。     Tテサロニケ4章

マケドニア州の州都であったテサロニケに福音が広げられる様子は、使徒言行録の16−17章に詳しい。ある夜、パウロは「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」との幻を見た。そして、一行は新天地へすぐに出発した。確信に満ちての新たな旅。しかし、フィリピでは鞭打たれ、投獄された。次の地、テサロニケでも同じように福音を伝えたが故、ヤソン一家にも火の粉が降りかかったという。時、短くして、パウロはテサロニケを去らなければならなくなった。自分自身が試されるような、マイナス要因の多い伝道。それでも、教会の根は確かに残り、信仰者たちの信仰はなくならなかった。それを聞いたパウロの感動は、2章の後半に表現されている。「わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。」(2章19節)▲人の歩みもそう。あっさり、さらり、すっきりした歩みでなく、時にドロドロのところを生きる。2階からのよい眺めで生きられるのでなく、躓きの多い1階を、ゴツゴツの地を生きさせられる。しかし、なぐさめのあるところ、魂に染み入る慰めの言葉、天来の憐れみ、神だけが与えられる喜びの知らせは、そこにこそ響くのだとしたら、さっさと2階に上がれない、上手に悦にひたれないのは、祝福の証拠でもあると信じていいと思う。  わたしの胸が思い煩いに占められたとき あなたの慰めが わたしの魂の楽しみとなりました。詩編94編19節



2010年4月25日

「苦難と喜びは響き合って・・・先週の説教要旨」

牧師 犬塚 契

顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。      Tテサロニケ3章

ヘンリー・ナーウェンが著作の中で紹介している友人。彼を前にしてナーウェンは戦争・飢餓・政治の腐敗・騙しあいといった人間のどうしようもない姿を見せつけたくなるとそうです。しかし、その友人はやさしい目で答えるのです。『二人の子供がね、パンを分け合っているのを見たよ。一人の婦人が毛布をかけてもらったとき、微笑みながら「ありがとう」って言うのを聞いたよ。わたしに生きる勇気を与えてくれたのは、こういう貧しくとも素朴な人々なんだ。』▲パウロは生まれたばかりのテサロニケの教会に、ただの甘言でごまかそうとしませんでした。しっかりと神に従う故の苦難があると語りました。けれども、それは降って湧いた事故でもなければ、神の知らぬところではない。災いのようなものではなく、当然起きてくることなのだと。神の知らぬところの苦しみでなく、他人事の、神不在の中の悩みでなく、苦難と喜びは響き合うのだと語ります。喜びとは、幸せな気分な状態でなく、神を信じる人の歩みは、苦難と喜びが共存できると。振り返って歩みを思い起こす時に、真の喜びを見出す場とは苦難の中であったことを思います。そして、喜びは選び取りでもあります。恨みを引き出すか、喜びを引き出すかの選択がいつもあります。ナーウェンは言います。「それがどんな一日であっても、しばらくの時間、その一日を感謝する日として思い返すこともできます。そうすることによって、喜びを選択する心の余裕が増してくるでしょう」。やはり、私たちは神ではない。人間です。ご飯を食べ、水を飲み、汗をかき、手を合わせて、頭を垂れて生きる者でありたいと思います。 「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」 詩篇119:71 口語訳


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